津次郎

映画の感想+ブログ

スタイルを感じるホラー ロッジ 白い惨劇 (2019年製作の映画)

ロッジ −白い惨劇−

3.5
モダニズム建築。カメラは構図と長回しを持っていて、そこにドラマがかさなる。スタイリッシュ。

カット毎に、写真のように決まるうつくしい内装と外装。そのカタログのような絵に、ベルイマンのような心象風景が描かれる──と言ってもいいのでは。

シンメトリーだったり、瀟洒な佳景へ、ぐーっと超スローで寄ったり引いたりするとき、えたいの知れない寓意が宿る。

前半はその雰囲気──空気、どうなるのかの疑問が、すごくいい。

またシルバーストーンの自害がリアル。FXをつかっている気配がなくてすばやく頭をのけぞらせてもこんなリアルに撮れるのかどうか・・・後ろへ引っぱったんだろうか、やたら気になる。
しっかしクルーレスのころ、いずれこんなシルバーストーンが見られるとだれが予想したろう。

ただ、映画内のだましあい、と映画が観衆をあざむくのだまし、が重なってしまって、それが映画ぜんたいを失速させる。

つまり、恐るべき子供たちをえがくのか、カルトの生き残りの継母のたくらみをえがくのか、それとも、もっとちがう仕掛けがあって、観衆を疑問符にしているのか、わからないまま進むゆえに、ホラー気配が削がれる。ホラー気配が削がれてもいいのだが、とりわけ解決もないので中間部に、意味がなくなる──という感じ。

まさか夢オチじゃないだろうな──と思わせるところもあって、半途あたりのたるみはけっこうあったと感じた。

またJaeden Martellをつかうのなら、もっとフューチャーしてもいいんじゃないだろうか。なんか釈然としない兄だった。だますにしてもだまされるにしても、気配が薄かったと思う。

継母も、もっといろいろあって、狂うならわかるが、トラウマがあるとはいえ、抗うつ剤を隠匿されたとはいえ、錯乱の沸点がひくい人になってしまっている。ゆえに結末も、強引なかんじだった。

ただ映画の空気感、カメラ、構図など、かんぜんにふつうのホラーを凌駕している。ホラーうんぬんというわけでもなく、映画として、たしかにグッドナイトを撮ったコンビのシンギュラリティはひしひし感じた。

とりわけ、建築のことは無知なんだが冒頭からのコルビュジエ──とはぜんぜん違うのかも知れないが、そういう、なんていうか意匠ある建築物とミニチュアハウスとを、ぐーっと寄る/引くカメラは瞠目だった。アスターの前作と、設定が似ている、とは思う。

しかしなんだ、きょうびの映画界はホラーが牽引している気がする。このコンビ監督もそうだし、アスターとかピールとかミッチェルとかムスキエティとかグダニーノなんかもそうだけど、

1ロジェやフラナガンのようなホラー専門家が決めてくること。
2ピールアスターミッチェルのような新鋭が続々出ること。
3トリアーやグダニーノやアキンみたいなとくにホラー専てわけでもない才人が決めてくること。

この三つ巴がかさなって、やはりホラーがいちばん面白い──と感じることがさいきん多い。のである。

こうしてみるときょうびジャンルでホラーと括るのがすこしばかばかしい。
ベルイマンのような心象風景と前述したが、神の不在がベルイマンの基調テーマとはいえ、彼だってこの時代にいたら処女とか第七とか沈黙とかを、ホラー空気で描いたんじゃなかろうか。と思うのである。もちろん、そんなのまったく無意味な想像だけれどもミッドサマーなんてグロテスクを取っ払ったら、ベルイマンが生きてたら、こんなのをつくったろうな──みたいな感じだったし、さいきんの映画賢人は、むしろホラーにおいて、かつての名匠のような空気を体現しているのであって、ホラーだから安いという見地が、不可能になっている。

つまり、かつて13金系の従来型ホラーだらけのころは、ホラーが安いという見地があったけれど、いまはぜんぜんできないというはなしである。

これは、かつてなかった潮流だとおもう。つまりエクソシストからいけにえやはらわたやブレアウィッチやパラノーマルとか、そういった過去名作たちは単体の金字塔であって、二番三番と永遠につづく煎じ物をうみだしたとはいえ、うねりのような全体の現象ではなかった。ところが今見渡すと前述した三つ巴の現象がある。

イットフォローズにはじまった。と個人的には思う。ミッチェルが出て、ピールが出て、アスターが出て、三人がホラーのクオリティを青天井に押し上げてしまった気がしている。アイデアがむげんにわく金脈のかんじ。だけどそれはやはり才能ある監督のなせるわざだと思う。このフランツ&フィアラもそんな才人であって、ぐうぜんにせよ、そんな才人たちがひしめく今は、黄金時代なのだとおもった。わけで。

むろん包括できるほどたくさん見ているわけでもないけれど、おそらく今までなかった黄金時代といえるようなホラー傑作の連続的度合いを感じます。