3.0
インターネットが普及して以来、ホームページとかブログとかSNSとか、始めては辞める──を繰り返してきた。
始めるのは、なんか言いたいことがあるからだ。
辞めるのは、なぜだったろう?
──と、思い返してみると、辞めるのは、恥ずかしくなった──からである。
文を書くのが趣味で、下手なりに、けっこう書く。
むかしは、大学ノートに文を書いた。
ワープロが普及したら、フロッピーディスクに書いた。
パソコンが普及すると、ハードディスクに書いた。
インターネットがはじまると、ホームページに書いた。
震災があった。
震災後、インターネットには、にわかの終末論者があふれた。
陰謀論みたいなものと、どこかのセンセーの発言をからめて、日本はすでに死んでいる──みたいな論評を繰り返すひとびとだった。
わたしもそういった論者の亜種だった。
ペシミスティック(悲観的)な文をいっぱい書いた。
いま、あの当時、チェルノブイリ以上の死者が出ると豪語していたひとたちは、どこへ行っただろう。
論者は、一年経って来年から甲状腺癌が出始める。と言った。
二年経って病床が満杯になる。と言った。
三年経ってチェルノブイリの潜伏期間は五年です。と言った。
四年経って政府が隠し始めている。と言った。
五年経って言うことも尽き、過去発言撤回の懐柔をはじめた。
六年経つと、放射能汚染緊急サイトの看板をおろして、そしらぬ顔で震災前の通常運転をはじめた。
知ってのとおり、震災後、インターネットはそんなサイトであふれかえっていた。
わたしも当時やっていたブログで、日本はもうおしまいだあ、などと、のたまっていた。
むろん、わたしがやってきたものはすべて、過疎なので、誰ひとり、読んではいなかった。
が、そのブログも恥ずかしくなって辞めるとき、わたしはじぶんに言った。「おまえは、無知だし、ばかだから、もうご意見系ブログ・SNSはやるな、どうせまた恥ずかしくなって辞めるだけだ」
わたしはそのじぶんの内なる言にしたがって、せめてもの映画レビューをやっている。
この映画を見るのはいやだった。
震災を思い出したくなかった。
わたしは被災者ではないので偉そうなことは言えないが、震災以来、震災がずっと心の中心にあった。
が、しかし、震災後にはじめた、じぶんのブログ──ばかすぎる終末論を語りまくっていたじぶんを思い出したくなかった──というのもある。
吉田所長をはじめ、あの事態に尽力された方々にたいして、意見を言える立場にはない。畏敬とねぎらいしか、ない。
そして映画は、そつなく仕上がっている。大衆うけを標榜していて、その需要を、なんの問題もなく満たしている──と思う。
が、個人的には「感動」のようなものに、変換していいこと、ではないと思う。
なぜなら、震災が総決算のような映画のなかにおさまるのは、はやすぎる。からだ。
たとえば仮住のひとたちはFukushima50を見るだろうか。見たいだろうか。生きているなら、継続していることなら、まとめられても、迷惑だろう。と思う。
生きて継続していくばあい、決算できない。
ばかだったわたしは、震災後に恐慌的になり、防災グッズを買いまくったり、陰謀論的吹聴に、汚染されたり──した。
が、ブログだったら、辞めればいい。匿名だし、過疎だし、誰かを誹謗していたわけでもない。閉じればおしまいである。
でも生きて継続するなら、なにかにまどわされて、あやしげな情報を信じて、悲観するのは、無駄なエネルギー消費だ。
それが仕事に影響するなら、人様にたいして迷惑でもある。
なにがあっても、日常を続けられるなら、それをありがたいとおもって、きのうと同じ今日をやりなさい、ということを、震災に教わった。と思っている。
おもえば、ふしぎなことだが、オリンピック誘致のプレゼンテーションにおいて、時の首相はunder controlと言って、原発が制御下にあることを喧伝した。
じっさいオリンピックの年がやってくると、まったく別の理由で、延期になった。
いま、世界じゅうのオリンピック関係者で、東京へ行くのに放射能汚染を心配しているひとは、ひとりもいない。と思う。
世界じゅうを覆うコロナ禍を日本人が比較的under controlし得ているのは、震災の教訓のおかげではないか──と思う、ことがある。
ぜんぜん関係ない──とは思わない。
ところで、原発がすでにあるならば、それを反対したり黙殺するのはナンセンスだ。
チェルノブイリの事故は1986年に起きて、すぐに石棺にされ、30年後の2016年にその石棺を覆う構造物が建造された。とんでもない大構造物である。
つまり廃炉なんて時間的にも予算的にも困難──というより荒唐無稽ではなかろうか。
『日本には33基の商業用原子力発電所があり、9基が運転中です(2019年11月7日現在)。』(日本原子力文化財団の記述より)
日本の海岸線には、つきあっていくほかないものが多数ならんでいる。
これがどういうことか──といえば、(津波が)来たら来たで、そのとき対処し考えます、という結論しか成り立たない、ということ、だと思う。
どんな利口な学者も、どんな立派な政治家も、おそらくそれ以外に、冴えた考察なんて、ないだろう──と、わたしは思っている。
つまり、わたしたちが未来に託すのは、ただ「教訓」だけだ。
映画は、大衆にターゲットしているなら、これでいいと思う。正直よくわからないし、あの震災について四の五の言うのはもういやだ。
ただひとつ許容しかねるのは、海外メディアがFukushima50と呼称した──とエンドロールにも出てくるが、日本が、日本人が、震災をひとまず決算したいなら「福島の五十人」と題するべきだ。
いったいなぜ、輸出向け英題が、被災国/日本人に向けられているのだろう?