津次郎

映画の感想+ブログ

アナベル 死霊博物館 (2019年製作の映画)

アナベル 死霊博物館(字幕版)

3.0
ジャンプスケアにはタイミングがある。
ホラーを何本も見れば、だれでもそのタイミングを、だいたい予測できるものだ。

たとえば主人公が鏡に向かって歯を磨いている。とする。

口をゆすいで吐き出すとき、前屈みに伏せるが、そのときは鏡には、なにも映らない。
よける、ふせる、振り向く、などの動きで「それ」が見えるのが常套手段だが、それらはフェイントでもある。

鏡は戸棚になっていて開閉できる。
鏡を開け常備薬を取り出し、閉める。
そのとき「ドン」と映る。
あるいは、その前にもう一度フェイントが挟まれる──かもしれない。

近年のホラーはこのジャンプスケアのタイミングを予測できないように回りくどくしてある。フェイントも多く、フェイントだけ──ってときもある。

ただし、さいきんの賢いホラー──アスターやピールやミッチェルなどはジャンプスケアを必要とするホラーではない。

ジャンプスケアをつかうのは、むかしながらのホラー映画だ。
アナベルは、いまもっとも稼いでいる、昔ながらのホラーシリーズだと思う。
どこでjumpscare=「ドン」や「ワッ」が来るのか、ぜんぜんわからない。
とてもうまい。

かえりみると、じっさいjumpscareはほとんど使われてはいない。その予兆だけで稼いでいる。つまり来そうな感じが映画の緊張を維持している。

アナベルが、なぜすごいのか、なにがすごいのかというと、カメラワークだけ──ってところ。すべてがそれでまかなわれ、ほかには種も仕掛けもない。

FXすらほとんどない。動き回るチャッキー(チャイルドプレイ)とは方法論が違い、アナベルは微動だにしない。少女たちを追尾するカメラと音、しかもすべて屋内、それが200~300億円を稼ぐわけである。これはブレアウィッチなみのコスパであろうかと思う。

それゆえ、主役となる少女たちはしっかり選っている。
端正でじょうずな子たちをしっかりみせる。
マッケナグレイスは「あどけない」から「きれい」に変容しつつあった。

すなわちカメラワークだけ──とはいえども、マッケナグレイスの、すでに顕在する女優オーラは、映画の種であり仕掛けにもなっている。と思った。