津次郎

映画の感想+ブログ

思い、思われ、ふり、ふられ (2020年製作の映画)

思い、思われ、ふり、ふられ

1.5
すきなユーチューバーができまして、なぜすきなのか考えてみたのですが、おそらくYouTube上の番組で見せる姿と、わたしたちが知らない彼らの日常に、あまり差がない──ということだと思ったのです。

もちろん、かれらの日常は知らないことなんで、はんぶん憶測になってしまうわけですが、カメラが回ってなければ、ぜんぜんちがう人──だとは考えにくいキャラクターを確立している──わけです。

芸能人や有名人が、表向きに見せている姿と、プライベートが異なっているのは、とうぜんだと思います。

エンタメにたいする、一般人の感慨で「性格悪そう」っていうのが定番としてありますが、芸能人や有名人のじっさいの性格が悪かったからといって、んなもん、なんの関係があるんでしょうか。かんぜんに、ほっとけよ──ってはなしです。

ですが、ユーチューブやソーシャルネットワーキングサービスの影響もあって、現代社会では、有名人が手が届きそうなところにいて、一般人の「性格悪そう」みたいな、超絶に余計なお世話さえも、けっこうばかになんない案件になっちゃっているわけです。

そうなりますと、いくら有名人といえども、カメラオン時とオフ時の乖離(かいり)が、小さいほうが、一般人ウケするはずです。すきなユーチューバーのふたり組はその乖離が極小に見えます。見える──だけで充分です。

現実に、そういう人がウケて、人気があることを、人々は実感していると思います。

善良そうな行動/言動していて、裏でコスいことをやっていると、見た目が悪い奴より、がっつり叩かれます。

ユーチューバーを観察──観察といっても厳密に精査しているわけではなく、なんとなく眺めているだけですが、それでいてさえ、基本的に善や正直属性の持ち主は、なんだかんだ言われても、根底支持層は揺らがないことに気づくわけです。
だれでも、一定期間ユーチューブを見ていたら、なんとなくそうなっていることに気づくはずです。

天然といえば世間的に好かれる属性ですが、それはつくろわない態度、裏表のないこと──なので、善や正直に近似する属性です。同義でさえあると思います。そして、その属性を持っている人が人気者になり得ていることは、ユーチューブ上では、テレビよりも瞭然なわけです。

映像作品において、キャラクターが正直に見える──のは重要です。どれだけそれが重要なことか、ユーチューバーの興衰を見ているならば理解できると思います。

このとき彼/彼女は、じっさい正直な人間でなくてもかまいません。
そんなことは、なんの関係もありません。さっきも言いましたが、見える──だけで充分なのです。

ただし。

現実に正直でない人間は、優れた演出や演技力をもってしても、最終的には、正直に見えない──ばあいがあります。

ユーチューブの世代はそこに気づいている可能性が大きい──と思ったのです。

すでに人々は、エンタメといえども、人間性が関わっていることを知っています。芸能界では、消されることもあるのかもしれませんが、消えた人が、消えるなりの属性を持っていたことを、人々は薄々にせよ感じ取ることができるのです。

なぜなら、長い目でみたばあい、ユーチューバーの命運/人気は、まさに彼/彼女の人柄そのものになっているからです。

そのことが、テレビや芸能界ぜんたいに敷衍できないと、なぜ言えるでしょう。
かれらの浮き沈みは、まさに人柄に他ならないわけです。

ユーチューバーをランキングで見られるサイトがありまして、そのデータを見たところ昨年(2020)から今年にかけて、かれらの登録者数の伸びは激的でした。

そのことだけを根拠に言うのは、うかつですが、新型~禍下における、人々のすさんだ気持ちを、かれらがどれだけ癒やしているか、はかりしれないと思いました。
暗い世相とかれらの人気が無関係なはずがない──と思ったのです。

──という話を長々したのは、本作に出演している浜辺美波を辿っていったらそのユーチューバーのふたり組に出会えたからです。

本作は恋愛映画専門みたいなスタンスで数々の恋愛映画を撮ってきた三木孝浩監督の恋愛映画です。
来歴としてもほぼ恋愛映画だけですが、とりわけ恋愛映画がじょうずなわけではありません。
これは日本の映画監督によくある不思議な寄せ方です。自分も周囲も、誰ひとりそれを疑わないことで、この執着が生まれる──わけです。

恋愛映画に、無感動なのは、じぶんがおじさんになったから──もありますが、ただし、わたしが中高校生のときも、日本の恋愛映画に感動したことはありません。

恋愛に無縁な器や性質を持っているから──のほうが正確かもしれません。多くの人がその理由によって恋愛映画と無縁だと思います。

しかしわたしはジョンヒューズやブックスマートやエイスグレイドやはちどりやウォールフラワーズや僕とアールやThe Edge of SeventeenやThe Spectacular NowやイージーAが好きです。もちろんAbout Timeも。おじさんとなった今も、海外の恋愛映画、青春映画に親しんでいます。

反して、日本映画界って、いつまで、このテのイケてる人たち/強者/勝ち組/Alphaだけの恋愛映画をつくり続けるのでしょう?この国には恋愛弱者がいないのでしょうか?

物語はまさに恋愛弱者的なことを描いているのに、キャラクターに切実な主体性がなくて、かわいそうなのはかわいそうだから──になってしまっているのです。

朱里も由奈も理央も乾くんも、なんかものすげえハンディキャップ負っていそうに見せながら、軽微なシチュで行き違いを起こしているだけの人たちです。じっさい何一つ逆境はないのです。どこにシンパシーすりゃいいですか?

そもそも日本の恋愛映画の登場人物って、すべてをがっつり有している人々が、弱者的哀感を装っているだけの話。な気がするのです。

ターゲットからわざと大人を外しているのか、あるいは、日本の若者って、そんなにドリーミングなんでしょうか?

ようするに、かわいいとかっこいいだけで満足する人種あいての商売でいいんかい。みたいな。

ターゲットから外されているなら文句はないんです。
幼児向けにつくられているものに感想言いませんわ。

べつにこの監督、この映画がどうこう言うのは牽強付会なわけですが、この映画は、どの時代の、どんな若者を反映しているのだろうか。なんて。

で、まとめると、ユーチューバーのうそを見抜ける若者が、このテのうそくさい青春映画とユーチューブを同時に愛せるってのがすごいっていう話です。