津次郎

映画の感想+ブログ

3作目の3作目的運命 ピッチ・パーフェクト ラストステージ (2017年製作の映画)

3.0
マイレージマイライフで初めてアナケンドリックを見たとき、とても新鮮でした。はっきりした目鼻立ち、利発で聡明で、純白で、庇いたくなる小ささ。役柄も手伝ってフレッシュさに好感をもったのです。
CupsのPVも素敵でした。女優に留まらない非凡な才能を知らしめ、映画と動画が相乗効果し、一躍人気者になりました。

しかし映画でも引っ張りだこ状態になってみると、アナケンドリック疲れを感じてしまうのです。モテ過ぎ感です。嫌いではありませんが、出過ぎの印象を拭えないわけです。これは、たとえば大泉洋とか有村架純とかマークウォルバーグとかetc、人気者に起こりうる現象であって、当人は悪くないのですが、視聴者はわがままなもので「また君か」と軽めのうんざりになってしまうことがあるのです。

とりわけ、Pitch Perfectのシリーズでは、ショット毎に、女優たちがキメ顔をつくります。すなわちカメラのターゲットになっているとき、はっきりそれと判るフォトジェニックな表情づくりをするわけです。初回作では、それが気になりませんが、続き物になると、やや嫌気になってきます。併せて動画でもよく見る人なので、彼女の自己顕示欲の気配が大きく膨れてくるわけです。当人は悪くないのですが、そんな気配になってくるのです。

で、シリーズが3作目にもなると、よもや隠しようがありません。なんかもう、はっきりとしたうんざりがあります。加えてかつてはツボに決まったレベルウィルソンのシットコムも、下品落ちのパターンが読めるとけっこう白けます。

むろん皆スターたちですから自己顕示欲旺盛には違いありませんし、自己顕示欲自体悪いことではないのですが、スターだからこそ、自己顕示欲を払拭しているときが魅力的なのです。
でも自己顕示欲を払拭するなどという芸当は、Pitch Perfectのシリーズではムリです。彼女らは個を押し出すコンテストに懸けているわけですから、矛盾でもあります。
観衆としては、私私私と、前へ前へ出てくる自己顕示欲の塊を、為すがままに呑むほかありません。

それに加えて状況から始まるリフオフ──歌対戦──が、ミュージカル映画で突如歌い出されてしまったときのような鳥肌の気恥ずかしさを沸き起こすのです。慣れていると思いきや、想定した以上の違和感でした。

ただ製作意図としてはのベラーズがあちこちで巻き起こすドタバタ喜劇であって、自己顕示の押しつけがましさには、意識が及んでいないはずです。とうぜん純粋にドタバタを楽しむこともできます。元来、罪のないエンターテインメントです。
そもそもケンドリックとウィルソン以外にはあまり顕示欲求を感じません。ヘイリースタインフェルドなんて巧いもんです。

しかしなんか妙に気になります。とくにケンドリックの常に広めのcleavageとか。ぜったい確信犯だろ的な顕示が、気になり出すと止まりません。
また、解説者二人がずっとベラーズを追っていて、いつでも歌対戦の状況をつくりだすのが、かなり強引です。これはつまりPitch Perfectの中枢エレメントが、対戦で意外な実力を見せたベラーズが、大声援を浴びて逆転勝ちするところにある、ということです。それが見せ場/目的地/白眉ですから、そこへ持っていかなければならない。それを考えると、よくぞ三つもつくった、というものです。