津次郎

映画の感想+ブログ

宮崎駿版夢 君たちはどう生きるか (2023年製作の映画)

君たちはどう生きるか

3.0

ネタバレあり

千と千尋の神隠しのクライマックスとその感動を今でも覚えている。

その川の名はコハク川・・・
コハクがわたしを浅瀬に運んでくれたのね・・・

もし千と千尋~を見ていない人にそのクライマックス部分だけを見せてもなんのことか解らないだろう。
千尋とハクがスカイダイビング状態でかわす会話に感動できたのはそこに至るまでのストーリーを見てきたからだ。

あたりまえである。

君たちはどう生きるかを見た印象は「知らないアニメ映画の感動的なシーン集」だった。

観客には何がおこっているのかわからないのに眞人とヒミは突如としてクライマックスをやっている。

いきなり感動的なシーンを見せられると案外いらいらするものだ──ということがこれを見てわかった。なんならすこしむかつく。

このむかつきは映画ぜんたいがセルフパロディに見えることにも起因している。
どのキャラクターにも既視感がある。男勝りの鉄火女キリコはエボシやりんやクシャナの路線である。眞人はアシタカでヒミはソフィーである。ワンパターンとは言わないがいずれも宮崎駿が今まで扱ってきたヒーロー像・ヒロイン像を踏襲している。それが悪いと言いたいのではなくセルフパロディに見えるという話である。なぜセルフパロディに見えるのかというとストーリーが見えないからだ。

したがってもっと言えば「宮崎駿の熱烈なファンがつくった超精巧な宮崎アニメあるあるシチュエーション集クライマックス編」。

眞人は『ひみは生きてなくちゃだめだ』と言うんだがその劇的な台詞に観客は追いついていない。追いついていないのに眞人とヒミは千尋とハクのスカイダイビング状態時のような会話を繰り広げている。
わらわらが空へ登っていくときペリカンの群れに襲撃され「みんな食われちまう」とキリコが叫ぶんだが、こちらとしてはまだその白いのにシンパシーをもつには至っておらず、タイミング悪すぎんだろ。もっと上手に昇天しろや。と感じても罪はない。

ものすごく巧いあるあるを見るのと同様に眞人は過去の宮崎駿のキャラクターを想起させるセリフまわしやしぐさを数え切れないほどやる。ただしそれらはみんなハイライトシーンでの劇的な台詞まわしやしぐさなのだ。が、観客の気分はハイライトではない──わけである。

ただしストーリーがまったくわからないわけではない。
あまりにも大きな悲しみを負ったとき人は防御本能がはたらいて観念へ入り込む。そこからは不思議の国のアリス構造になっていてうさぎの案内人をここではアオサギがやる。壮大な夢おちといってもいい。ようするに眞人が母の死を克服する──だいたいそんな感じの話であろうことはつかめる。

が、チュートリアルしないでゲームをしている感じ。それもわりと難しいゲームでじぶんが何してんのかわかんなかったりする。
にもかかわらずヒミは「石がおこってる」とか「ドアの取っ手を離したらだめ」とかいろいろとその世界の特長的構造のことを言うし、なんならドアに近づきすぎて倒れるが、つうかヒミさんて言ったっけね、夏子さんの関係者なんだっけ。いや、おれらなんでふたりでがんばっているんだっけ。・・・。

──という感じでこっちは相関性も話も生煮えなのに、ぐいぐいと「あるあるシチュエーション集クライマックス編」を食わされる。

難解なのではなくもともと漠然としたものを漠然としていることを知った上で出している。なぜそうするのかというと、そうしたかったからでもあるし、漠然としたものを投げてみることができる作家だから──でもある。みんなだって、なんなのか解んないのに、ただ宮崎駿がつくったというだけで、これを買ったんだ。

そうはいっても絵やアニメはいい。

個人的には冒頭がよかった。火事だといって跳ね起きてだだだだと階段をかけおりて、その躍動がすごかった。もののけ姫のドキュメンタリーで宮崎駿がポーズを考えているところを見たことがある。アシタカがすべり落ちるところで腕をクロスするところがあったでしょ。草木が生い茂っているところをあるていどスピードでずざざざと落ちていくから腕をクロスして頭を防御するんだ。それを宮崎駿が自分でやってみてこんな感じだろとか言っているんだ。そういうアニメキャラへの魂入れはやっぱすげえなって思った。君たちはどう生きるかの冒頭見てあのじぶんでポーズしてみている宮崎駿を思い出した。

特長は蝟集と鳥。うじゃうじゃ恐怖症と鳥恐怖症にはつらいだろう。アオサギは醜悪を隠さないし狙ったようなグロテスク描写もあった。まったく子供向けではないと思う。が絵やアニメはよかった。

黒澤明が夢をつくったときに似ている。黒澤明が夢をつくったとき多くの映画ファンが「おれたちは用心棒とか椿三十郎みたいなのが見たいんだ」と言って受け容れなかった。しかし用心棒とか椿三十郎みたいなのが見たいって、そんなん当たり前でしょ。黒澤明は老境・枯淡へ入って軸足のちがう映画をつくったんだよ。夢自体は悪い映画じゃなかった。八月の狂詩曲もまあだだよも悪くなかった。用心棒とか椿三十郎みたいなの──じゃなかったけれど、悪くなかったんだ。

これも単体でみたらすごい技術が集約されている。たしかに「おれたちはもののけ姫やナウシカや千と千尋の神隠しみたいなのが見たいんだ」と言いたいかもしれないが宮崎駿も枯淡へ入ってざっくりした夢を披露した──ってことなんだと思う。