津次郎

映画の感想+ブログ

年齢はただの数字 ナイアド ~その決意は海を越える~ (2023年製作の映画)

ナイアド ~その決意は海を越える~

3.5

Diana Nyadは外洋持久泳者、作家、ジャーナリスト、モチベーションを高める生き方講師、だそうです。

映画はジョニーカーソンがホストだった1979年のThe Tonight Showのワンシーンではじまります。
カーソン:「偉業達成おめでとう、でも褒められるのはもう飽きた?」
ナイアド:「いいえ、ほめられる価値があるから飽きないわ、会えて光栄だわ、前から出なきゃと思っていたのよ」

自信家で傲慢な印象をもちました。話が進んでいくほどに、自己顕示欲が旺盛で意欲的で無邪気なナイアドの人となりがあらわれます。

正直なところ健康で泳ぎが得意な人をランダムにつかまえて訓練し泳がせたら、ハバナ(キューバ)からキーウェスト(フロリダ)までの遠泳を達成できると思います。
当然とはいえ泳者にはずっと護衛船が伴走し、サメダイバーやサメよけ装置に守られています。
ガイドやポーターとなるネパールの少数民族シェルパの存在なくしてヒマラヤ登頂は成立しない──と言われているのと同様にナイアドが特別にすごい泳ぎ手だったとは思いません。

映画は24時間テレビのマラソンのような盛り上がりを見せますが個人的には冷めた視点で見ていました。
彼女が64歳でキューバフロリダ間を完泳したときのレコードは非公認であり、懐疑論者はGPS履歴や表面流や天候や飲食データを要求しているそうです。

ひねくれているから「簡単には感動してやらないぞ」と身構えているわけではなく感動演出には人それぞれ価値基準があります。リテラシーというやつです。

しかしナイアドが人たらしであり人を集め周囲を巻き込んで物事をやりとげる衆望と意志があったことも事実です。

なぜそんなことをするのかという実利観点からの疑問がありますが何のために生きるのかは人それぞれです。ナイアドは遠泳を完遂するために自分自身を高め、自分の周りに謂わば祭りをおこして目標を達成することに生きがいを見いだしたわけです。是非はともかく人間の生き方の規範になりえていると思います。

ただし、この映画が退屈な偉人譚を回収するのは遠泳をなしとげた彼女が「個人競技だと思っていたけれどチームスポーツよ」と言うからです。彼女がそう言わなければこれはただの24時間テレビだったと思います。

じぶんだけじゃなくみんなのおかげで成し遂げられたことを学習したナイアドの言葉から、わたしたちが誰のおかげで生きているのかという命題が見えるのです。

imdb7.1、rottentomatoes85%。(レビュー時はオーディエンスメーターが未計測だった。)

アネットベニングとジョディフォスターが全編化粧っ気なしで役に挑み、映画はずっとふたりの小じわやうぶ毛を見ている感じです。

監督はドキュメンタリーで受賞歴があるペアで虚飾を排したある意味残酷な撮り方をしておりベニングもフォスターも臆することなくそれに応えています。

よって個人的にはナイアドの成果よりもふたりの俳優の「何もかもかなぐり捨て、すべてをさらけ出して、演じてやるぞ」という強い意志に打たれる映画でした。