津次郎

映画の感想+ブログ

グルーミングの手口 ダイブ (2022年製作の映画)

ダイブ

4.0

飛び込み競技のスポ根映画かと思って見始めたが、いわゆるグルーミングを描いた映画だった。

『性犯罪・性的虐待の文脈におけるグルーミング、チャイルド・グルーミングとは、性交や猥褻行為などの性的虐待をすることを目的に、未成年の子どもと親しくなり、信頼など感情的なつながりを築き、手なずけ、時にはその家族とも感情的なつながりを築き、子どもの性的虐待への抵抗・妨害を低下させる行為である。』
(ウィキペディア「グルーミング (性犯罪)」より)

大人でも、いいか悪いかの判断を、責任性が阻却されるか否かで推し量ることがある。

たとえば喜多川会長は、夜な夜な何千人という少年の尻穴を掘っていたが、一方で多くの少年を人気者に育てつつ、会社を日本一の芸能事務所に発展させた。

その功績をかんがみるとき、夜な夜な何千人という少年の尻穴を掘ったことがスポイルされる(責任性が阻却される)と勘案することもできる。・・・。

倫理的にそんな無体な話はないとしても、たとえば少年の家族が貧困に喘いでいたところへ、尻穴を掘らせるかわりに、豊かな衣食住が提供されたとしたら、少年は家族ともどもグルーミングされる──ことになる。
母親思いの少年は肛虐に耐え、母親は喜多川会長を神のごとく崇めるかもしれない。

グルーミングとは被害者に被害を感じさせず、かつ家族への箝口を手回しするような手口のことだ。
幼少期に、きみのことを一番に思っているとか、世界一にしてやるとか、センターで踊らせてやるとか、大人が甘言をもちいたら、子供はそれを深い部分で信用し、何をされたのか親に黙っておくようになる。

少年はそれによって一生心を病み、助けることができなかった家族も一生良心の呵責にさいなまれる。
喜多川氏のばあいマスコミが喜多川氏サイドにいたので王国が長引いた。裁判で認定されてからも続いた。

この映画La caídaもそんなグルーミング主の特性を兼ね備えている。

やった男はダイビングチーム監督をつとめる協会の重鎮で、権力も人望もある。白黒判断するにしても周りは全員味方で、標的とした少女には特別な存在だと思わせて秘匿させておくような盟約をつくる。その上でたとえば「みんなが経験してきたことだ」とか適当な甘言をならべて性的なルーチンを繰り返す。

映画の主役であり視点は、競技主役の座を降りた、すでに若くないマリエル(Karla Souza)である。マリエルはセックス依存と生理不順に陥っている。行きずりの男とやって尿路感染を繰り返し、抗生物質を常飲している。

依存症に陥ったのは、はげしい練習からの反動と若くして監督に開発されたことによる。
万引きを繰り返したマラソン選手がいたが、青春をすべて競技へ打ち込んでストレスやプレッシャーから解放されない人は、自傷行為や何らかの強依存へはしることがある。まじめな人ほどそうなりやすい。

マリエルは自身も被害者だったわけだがグルーミングから解かれておらず、セクハラをおこしたブラウリオ監督を擁護するような行動をとる。

米女子体操五輪代表チームの元チーム医師ラリーナッサー被告は少なくとも140人の女性から告訴されているという。ジミー・サヴィルも死ぬまで発覚しなかった。ジャニー喜多川やワインスタインしかり。

グルーミング主が団体の主幹にいて内政を抱き込んでいると、長期化するうえ、夥しい犠牲者がでる構造ができあがる。

その悪循環を打破しようとするマリエルの苦悩が描かれている。
imdb6.9、rottentomatoes100%と91%。
実話にもとづいた話だそうだ。2022年メキシコ・アルゼンチンの映画。原題は落下という意味で、監督はゴヤ賞界隈では著名な女流作家のLucía Puenzo。

“にっくき加害者とかわいそうな被害者”みたいな安っぽい構図にせず、淡々として冷静、かつ女性らしさもある。心象描写も上手だった。