1、テンプレ見参
2023年1月6日、イスラム思想研究家飯山陽氏のYouTubeチャンネル「飯山陽のいかりちゃんねる」にて『【何様?!】鴻上尚史「時事通信が原稿を20カ所修正、納得できず決裂」』と題したライブがありました。
劇作家の鴻上尚史氏の以下のツイート(現X)から思ったことを述べています。
時事通信から、「成人の日によせて」という原稿の依頼が来て書いたのですが、書いた文章に20カ所以上の直しが入りました。「体言止めが美しい」というような理由で、納得できないと申し入れたら決裂しました。せっかく書いた文章なので、ここに載せます。多くの若者に届きますように😊 pic.twitter.com/ryEgFvjhnE
— 鴻上尚史 (@KOKAMIShoji) 2023年1月6日
文筆をなりわいとする飯山氏も、多数の原稿依頼されるなかで、大手メディアの編集者から直せと原稿を突っ返されたことが何度かあったそうです。
作家にしてみれば、相手の依頼に応じて書いたわけですし、こちとらプロフェッショナルです。事実誤認等があるならいざしらず、なぜあんたに赤点されなきゃならんの──というわけです。
しかも編集者は鴻上氏のツイートにあるような「体言止めが美しい」というようなわけの解らない理由によって直せと言ってくる──とのことで飯山氏の怒りはよく解るものでした。
飯山氏は同じ経験を有する操觚界隈にいるものとして依頼原稿が決裂に至った鴻上氏に同情を寄せています。
したがって動画タイトルの【何様?!】とは鴻上氏のことではなく鴻上氏の原稿を蹴った時事通信社にたいするものですが、特定の団体を責める意図はなく、プロの作家が書いた原稿を訳のわからない理由をつけて突っ返してくるような「偉そうな大手メディアの編集者」全般にたいして怒りを述べていました。
このように飯山氏は鴻上氏のツイート対しては100パーセントの同調を寄せるのですが、鴻上氏の書いた当の原稿内容についてはひとつも同意できないと述べます。むしろそれが動画の本題でした。
鴻上氏の原稿はこう始まっています。
『成人、おめでとう。でも、「大人になる」はどういうことでしょうか?
僕は、親や先生や先輩や友達の意見にただ従うのではなく、「あなた自身の頭で考えること」だと思っています。自分の人生を自分で決めるということですね。
けれど、これはとても難しいことです。だって、日本の若者達はずっと「自分の頭では考えるな」という訓練を受けてきたからです。』
この意見に対して飯山氏は見解を述べます。一部を文字起こししてみました。
『こうに始まっているわけ。この意見。すっごいテンプレでしょ。これ読まなくてもどういう結末になるかわかりますよね。
──だから日本の若者あなたたちは今までずっと自分の頭で考えないようにというふうに教育を受けてきました、でも大人んなったら急に自分の頭で考えろって言われて理不尽ですよね、でも自分の頭で考えて下さい、だってそれが大人だから、以上。
もうねこれ、読まなくても決まってるわけ。だってこれテンプレだから。もうね見た瞬間にうんざりする系ね。
日本の若者はずっと自分の頭で考えるなっていう訓練を、ほんとに受けてると、思いますか?』『そもそもね、この人が前提している今の“日本の若者達はずっと「自分の頭では考えるな」という訓練を受けてきた”っていう、この前提はね、ぜんぜんまったく賛同できない。
間違った前提というか、少なくともわたしが賛同できない前提から始まっているから、最後までひとつも賛同するところはないわけ。
それにね途中でね、こういうこと言ってるわけ、成人になる人にたいして“これから自分の頭で考える訓練を始めましょう”って言ってるわけ。成人する人によ。これ、さすがにバカにしすぎでしょ。
みなさん考えてみて下さい。じぶんが二十歳になるまで、じぶんの頭で、まったくなんも考えなかったていう人いますか?』
飯山氏の見解は「日本の若者達はずっと「自分の頭では考えるな」という訓練を受けてきた」とは全く思わないということです。
わたしも思いません。もし、この原稿の読み手がそう思わなかったら「成人の日によせて」は成人の日によせることはできないでしょう。
しかしこのテンプレは、思わなくても使うことはできるのです。
2、俺のせいじゃない
もし「日本の若者達はずっと「自分の頭では考えるな」という訓練を受けてきた」のであれば、わたしたちの成長はそれによって妨げられてきたと言えます。
したがって例えば成人となっても就職や進学しないことを親に言い訳するばあい「僕は自分の頭では考えるなという訓練を受けてきたから、家でごろごろしていても仕方がないんだ」という申し開きが使えます。
自分のせいでそうなったことを人や外的要因のせいにしたいときこのテンプレは使える──というわけです。これを俗に「リベラルのテンプレ」と言います。
もし怠惰や努力不足で窮状におちいっても、テンプレのような外的要因を探し出し、自分にあてはめることで、人様への申し開きや、自らを慰撫することに使えます。
だからエクスキューズ(自己弁護)することができる何かを探し出そう──ということになります。
政府・制度、家庭環境、経済的理由のせいにするのもいいでしょう。鬱病やトラウマのせいでも、あるいは「自分の頭では考えるなという訓練を受けてきたから」でもいけるかもしれません。
リベラルのテンプレとはあなたの失敗「外的要因に妨げられたから不可抗力でこんな羽目に陥った」という構図を説明してくれるものです。
俺が不幸なのはこいつのせいだと言いたいときの“こいつ”がリベラルのテンプレです。
3、不幸自慢
かつてわたしは付き合おうとしていた女性に右耳の聞こえが悪いことを述懐したことがあります。
わたしは中学生の頃たびたび先生にビンタされました。悪童だったわけではありませんが、何となく目をつけられて、よくビンタされました。
顧みて、右耳の聞こえが悪くなった時期と、派手な往復ビンタを浴びたときが、だいたい重なっていたので、彼女に「昔、先生に殴られて、耳があんまり聞こえなくなったんだ」と言ったのです。
じっさいにはビンタによって難聴になったのかどうかは解りませんが、彼女といい関係になりたかったので同情を買おうとしたわけです。
この述懐はすごく効果があり、彼女との距離を縮めましたが、あとになって、先生に殴られたことで耳が悪くなったのかどうかは解らないと言ったので、がっかりされました。
が、劇的な不幸は女性を惚れさせることができる──のを知りました。
リベラルのテンプレは同情を買いたいときにも使えます。あなたの身体上の不具合にドラマを設定してみましょう。
4、同情を請う日本映画
わたしは映画のレビューを書いていますが、思えば日本映画にはリベラルのテンプレが常用されています。
日本は平和で安全な国です。戦争はなく通りに餓死者が転がっているわけでもありません。国民皆保険によって世界一の長寿国です。
なんだかんだ言っても日本は平和で安全な国なのです。
しかし平和で安全だとドラマにならないのでリベラルのテンプレを使って主人公をなんらかの不幸に陥らせるのが日本映画です。
平和で安全な国、日本から重箱の隅をつつくように不幸素材を探し出してつくられるのが日本映画です。
5、勧誘するテンプレ
リベラルのテンプレが台頭するのは、いや、左翼的発想の根幹とは、朝起きて学校や会社へ行くのがいやだから、かもしれません。大学の授業がつまんないから、メット被ってゲバ棒持って闘争したのかもしれません。
リベラルのテンプレがもたらすのは、俺じゃなくて環境が俺をこうしたんだ──という言い訳です。一度テンプレを使って言い訳すると使い続け、使っていくうちに拡がって俺がこうなったのは日本のせい──というところへ行き着きます。
曲がりなりにも恩恵にあずかってきた母国です。政治への苦言は大いにやるべきですが、国体を根本的に否定したいならば亡命するのが筋でしょう。
亡命せずに、日本の恩恵にあずかりつつ、抑圧された環境に苦しんでいるという幻想をもたらすのがリベラルのテンプレです。
たとえば「日本の若者達はずっと「自分の頭では考えるな」という訓練を受けてきた」と言えば、甘美な反体制気分が味わえるうえ、あわよくば感化されやすい青年をリベラルに引き込むことができます。リベラルのテンプレが左傾のきっかけとなるのです。成人の日によせて寄稿したなら効果抜群でしょう。
(飯山氏の動画と本ブログの内容とは無関係です。)