津次郎

映画の感想+ブログ

出番はもはや始球式だけ 貞子 (2019年製作の映画)

1.5
ハリウッド進出もいまいちで、それから自分が観たかぎりですが、クロユリ/モンスターズ/劇場霊/ホワイトリリー/終わった人/スマホを落とした~/殺人鬼を飼う女・・・どれも、しょうもない映画でした。
映画監督という職業はひとつふたつ傑出していると、あとはテキトーに流していてもシゴトが巡ってくるんでしょうか・・・とりわけ最近の中田監督は、ムダに精力的な連投っぷりで、去年(2018)なんか3本撮ってます。意味不明の多作でした。「連駄」とは、きっとこんな状態を言うのでしょう。

個人的な感慨ですが、日本映画界では、いったん、マスコミ等によって「巨匠」の冠をつけられると、そのあと雑にやっていても低迷と解釈されます。

ただし、日本で現在「巨匠」とされている映画監督のなかには「これはホントに低迷なんだろうか」と、巨匠格を疑わざるをえない凡打だらけの「巨匠」がいるわけです。

この問題は、そもそも、マスコミがあまりにも早急かつ短絡に「巨匠」と銘打ってしまうことから来ています。
いまや日本映画業界は巨匠だらけです。
鬼才感出しまくりの有名演出家を親に持つ七光り写真家もすでに巨匠と呼ばれています。劣化版荻上チルドレンの文豪の名に似た女流もすでに巨匠と呼ばれています。となれば日本には巨匠でない映画監督は存在しません。巨匠と映画監督はイコールです。
個人的には、この「巨匠」が、歓楽街で呼び込みのひとから「社長さん」と呼ばれるような種類の呼称であればいいなと思っています。

てなことを思いつつ、中田監督の映画を観てしまうのは女優霊とリングが傑出だったからです。しかし、女優霊とリング──あの暗い怖い空気感を求めて早20年経ってしまいました。あの二作とくらべてしまえば「やっつけてんなあ」という印象はぬぐえません。この映画もやっつけてました。

結局、日本映画界の「巨匠」は、①傑作はラックによって成し得たもので、凡作が常態なのか、それとも、②傑作は実力をあらわしたもので、凡作は低迷なのか、③そもそも巨匠たる実績などひとつも認められないのか、どれなのかを、見定めるひつようがあると思うわけです。