津次郎

映画の感想+ブログ

同情を請う アイネクライネナハトムジーク (2019年製作の映画)

アイネクライネナハトムジーク

1.0
死後、紹介された三浦さんのツイッター発言で、
『明るみになる事が清いのか、明るみにならない事が清いのか…どの業界、職種でも、叩くだけ叩き、本人達の気力を奪っていく。皆んなが間違いを犯さない訳じゃないと思う』
『国力を高めるために、少しだけ戒める為に憤りだけじゃなく、立ち直る言葉を国民全員で紡ぎ出せないのか…』
──というのがあった。

報道では東出不倫バッシングへの反撥と推察されていました。
ほんとのことはわかりません。

ここには『国力を高めるために』とか『国民全員』とかの言葉がありました。
その言葉選びが、針小棒大でもあり、牽強付会でもあり、なんとなくちぐはぐな印象なのを指摘されていました。

ただし、そう見えてしまうもの──なのは、わかります。
自分の周りの現象は、一事が万事となって──しまうものです。
ニュースを見聞きするたびに、やれやれ世も末だと嘆くのとおなじで、些細なこと、身近な現象が、国家につながってしまうのです。

だけど、その雑ぱくな感慨は、かなりいい線いっている世界観──ではなかろうか。
データもなく、ほとんど無根拠なんだが、日常の肌感ていうのは、けっこう、真実なもの──ではないだろうか。

なんとなく感じることが、じっさいの社会を形づくっていることを、わたしたちは、知っている──と思う。

それが『国力を高めるために』とか『国民全員』とかの壮語になっても、かならずしも的外れではないと思うわけです。

2005年に、ブラザーフッドやスカーレットレターに出ていたイウンジュという韓国の女優が自殺した。
テヒョン、イェジンと共演した永遠の片想いにも出ていた。
ビョンホンとバンジージャンプするで共演もしていた。
まさにブレイクしたばかりの売れっ子で、見るからに清純派で、ソルギョングが葬儀で大号泣したというニュースもあって、覚えている。24歳だった。

2005年のあたりは、韓国映画が攻勢をはじめたころだった。
じぶんとしても、2000年のペパーミントで開眼して、韓国映画を積極的に見始めたころでもあった。

韓国映画を見始めた──とは、映画を通じて、韓国社会を知り始めた、ことでもあった。

もちろん映画から知り得ることには、限界があるんだが、ハリウッド映画を通じて、アメリカを知ったという言い方が成り立つなら、韓国映画を見て、韓国を知った──とも言えるはずです。
映画を通じてとりあえず外面を知ったわけです。

映画から知ることのできる韓国は、ペパーミントみたいな、暗い思いやりのない社会でした。

その当時の韓国の芸能ニュースには、プロダクションに隷属するアイドルや枕営業の話題などがひんぱんにあった。芸能人の自殺もイウンジュだけではなかった。
それらの芸能ニュースと、映画のなかの暗い社会とをあわせて、韓国は未成熟な社会だと、感じていました。

それが、いつしか逆転している。
著名人の自殺があったから、だけのことではなく、あのころ韓国社会に感じていた、未成熟さ、暗さ、人の狭量──そういった皮相を、いまは日本に感じる。のである。

日常生活、嫌なことばかりに遭う。いやな人ばかりに会うし。成熟したひとなんていないし。むろんじぶん自身もそうかもしれない。愛国者だが、ここはちっともいい国ではありません。──と思うことが多い。

インターネットで「中国人・韓国人がおどろいた日本人の~」と展開する論調をよく見かけます。日本人のリッパさを述べた、国策なニュースです。志はわかります。日本人が日本に誇りをもつのはだいじなことです。しかし、ゆめゆめ、そんなたわごとに、悦になってはいけない。

個人的に、コンテンツの未成熟さが、国家の未成熟さと比例している──という感覚がある。
だから、三浦さんが言った『国力を高めるために』とか『国民全員』とかの、いっけん針小棒大な言説が、わからなくない。
ものすごく、無根拠なはなしだが、日本の映画がだめなのは、日本がだめになったからだ、という肌感が、ある。どうしようもなく、ある。

禍のさなかでもあり、弱って鬱状態にあったとはいえ、ここがそういう国で、そういう国民なんですよ、とは、あるていどかれの自殺があらわしている──と思った。

三浦さんは180㎝ちかい体躯と美しい容貌、豊かな黒髪、波乗りができる運動能力をもっていた。まだ30になったばかりで、温厚で思いやりがあり、たくさんの人々に愛されていた。
ぜんぜん知らない人だが、いい人に見えました。

すべてにおいて死を選ばなくてもいいはずの属性がありながら、死んだことを考えるとき、国の混迷に目が向けられても、かんぜんに的外れだとは思わない。
すなわちイウンジュが亡くなったときに感じた韓国観が、そのまま自国にかさなってしまった──わけです。

なんていうか、かわいそうなんですよとか、すごくがんばって生きてますよとか、善良なんだけどぜんぜん報われないんですよとか、日本映画が、そういう露骨なエクスキューズ(自己弁護)に映画の共感性をぶちこんでしまうところが、わたしはものすごくきらい。未成熟。原作未読だがそんな同情票だけで小説が成り立つとは思わない。
日本映画ってのは、たいていそういう映画で、これもそうです。なんか根本的にだめだとおもいます。未成熟です。つたない──っていう印象しか残りません。0点。

せめて、まっとうな主演作があればよかった。煮え切らない役ばかり回される俳優だった。
すかっとしたヒーローが見たかった。せめて安らかにねむってほしい。