津次郎

映画の感想+ブログ

ザ・サークル(2017年製作の映画)

ザ・サークル

2.3
ネットワークの先鋭にたいする警笛になり得ているような感じだが、話は強引。
社会派の映画ではなく、SF映画だと思う。
演出も不安定で、スターに釣られた後感はあった。

ところで、この映画でメイ(エマワトソン)が面接を受けるシーンがある。
面接者の質問が、解るような、解んないようなものだった。

ポールかジョンか。
マリオかソニックか。
内省的か社交的か。
寿司か栄養食品か。
マジックテープの財布は持ってる?・・・

都市型の企業をするタイプのひとが共通して持っている不文律がある。
その人となりを知るのに、ポールかジョンか聞くような、意味不明の心理学だ。
ポール(またはジョン)のほうが好きだと言ったら、マイナスなのだろうか、プラスなのだろうか。

そういう意味のないことを、つつくことで、人間を知ることができるという──なんて言ったらいいのかわからないが、えせ心理学の乱用と慢心がある。

だが、かれは、質問の価値や面接の意義を、この映画にでてくる面接者のように信じ切っている。

映画の面接官は、その表情から「ぼくはね、なにもかもわかっているんですよ」という感じがにじみ出ていた。

そんなひとが、ポールかジョンかを、かんぜんな真面目度において、質問する──わけである。

あ~いるわ。こういうやつ。と思った。

わたしは、かつて、このような意味不明の優位性と自信をたずさえた面接官に、さんざん出会った。

現代であれば、なおさら、そうだろう。

すこし考えればわかることだが、面接官がその会社に入りたがっている人をいじる意識は、権力者がその権勢や優位をかさにセクハラする意識と、一ミリも違わない。
かんぜんに一致する慢心だと思う。

わたしが面接をするときは、その分別をもってやっているつもりだ。
つっても飲食店のアルバイト面接なんだがorz。

ティージョブズがマイクをつけリモコンでスクリーンを操作しながら、スピーチをする──この光景は、わたしたちが知っている、知的職業の象徴たる姿だ。

ただし、その姿が、形だけ真似されていたら、どうだろう。

個人的には、どれだけ業績が良くてもIT系企業に泡沫を感じる。古い人間だから、ってのもあるかもしれないが、アプリケーションの利便性が未来に接続されるとは思わない。統計上の傾向があった、としても、ポールかジョンかが、人となりを知る手助けになる──とは思わない。

荒野で、人はまず水をもとめ、食べ物をさがすだろう。次に服をさがす。電源をみつけて、オンラインになるのは、何番目だろうか。人にとっての重要度とは、むかしもいまも原始的だと思う。

ただ、マジックテープ(で開閉するタイプ)の財布を持ってる?という質問は興味深かった。その問いに対して恥ずかしげに「持っていました」と答えたことからも、なるほど、あれはアメリカでもダサいものと見なされているのか──と知ったからだ。
それを持っているなら、ダサさに無頓着である、というような人物判定はできるのかもしれない。

ところで、いろんな映画でKaren Gillanが気になる。Oculusというホラーでも気になった。ネビュラは顔がわからないのに気になった。おそらく気になるのは、デカいからではなかろうか。180㎝だそうだ。ワトソンと並ぶとあたまひとつ違う。
矢継早に会社案内する彼女に、小柄なエマワトソンが「アニー、脚長すぎ!」って言うのは台詞というより本音だと思った。