津次郎

映画の感想+ブログ

シエラ・バージェスはルーザー(2018年製作の映画)

シエラ・バージェスはルーザー

2.5
昔の記憶だが、じぶんが「果敢な挑戦」をしていたことに、今も、恥ずかしくなることがある。

人生をすこしやってみると、じぶんが持っている顔や性惰や家柄などが、求めることのできる限界を知ることができる。

昔は、それを知らずに、気に入った子にアタックしたことがあった。

気が滅入るはなしだが、それが「果敢な挑戦」のいみである。

だれもが過去に果敢な挑戦をもっている。

人間たちが、そのランクに合わせて、きぶんよく住み分けることができるように、若い時分は、いろいろの試練があった。

小中は学区で決まるだけの、無作為な寄せ集めなので、変なやつもすぐれたやつもいた。高校は進学校に引っかかったので、そこでは何事もなかった。

無風だったじぶんの高校時代とくらべてしまえば、すべての学園ドラマが、多感で劇的だが、ドラマになる話をじぶんと比べてもしかたがない。

ただ、学園ドラマにおける恋愛は、その経験がなくてもよくわかる。おそらく「果敢な挑戦」をしたことが生きているのだろう。

偶発ではあるが、メインキャラのシエラがとる手段や、起こるできごとは、けっこう腑に落ちない。
賢さを気取っている感じも鼻につく。
Shannon Purserには罪はないが、びびょうに不純でびみょうに卑屈、けっこうむかつくキャラクターだった。
聴覚/音声障害のふりをするのは、あきらかに行き過ぎだった。

この映画の白眉はVeronicaのセリフで『20,000 followers; following zero.』とドヤる場面だと思う。
filmarksは映画レビューサイトをSNS様式にしたサービスだが、fやfbの位相が最強にチャラい。fゼロをキープしつつ大量のめくらfbを稼ぐのも夢ではない。
映画はSNSにおけるfやfbの形骸性をやんわり皮肉っていた。

ところで、Shannon Purserのwikiで、両性愛者であることをカミングアウトした、とあった。
偏見なのかもしれないが、女性で、両性愛者のカミングアウトってどうなんだろう。と思う。

わたしは女性のことを、なにひとつわかっちゃいないが、知っている女性はexふくめ両刀しようと思えばいけるひとたちばっかだった。女性で両性愛って、ぜんぜんめずらしくないんじゃなかろうか。とかおもってしまった。