津次郎

映画の感想+ブログ

腐ってもウィンステッド ケイト (2021年製作の映画)

ケイト

3.3
ケイトは殺し屋。
大阪で要人を狙撃するが、その傍らには少女がいた。その慟哭が忘れられない。
良心の呵責から稼業の引退を考える──そこから本筋が始まる。

ホテルで会ったワンナイトスタンドのお伴に、リトビネンコのようにポロニウムを盛られ、余命一日となったケイト。
強壮剤を打って気を保ちつつ、木嶋組長の居場所を知る少女アニと行動をともにする。ふたりは時にはレオンとマチルダのような意気投合を見せるものの、アニはケイトが葬った要人の娘。その道徳的ジレンマが物語を牽引する。

アニ役、Miku Patricia Martineauの出自には、カナダ人で、母親が日本人とあった。たしかに日本人の顔立ちも垣間見える。が、単血でないことが明瞭な顔立ち。そのハイブリッド娘とメアリーエリザベスウィンステッド。サムネイルだけで釣れそうなビジュアル。

見どころは「銃刀車ぜんぶ入り」のアクション。
料亭の障子で仕切られた座敷での死闘。出刃で刺すたび障子が真っ赤に染まり、雑魚敵を倒しながら横トラックするカメラ。しかもグサグサグサ刺しながらキッといい顔すんのよメアリーエリザベスウィンステッドが。
──思い出横丁みたいな狭い屋台路地での銃撃戦。オドオドしすぎの組配下相手にケイト一騎当千。連射してがあああと雄叫びをあげるメアリーエリザベスウィンステッド。──木嶋のビルに侵入すると、深作の宇宙からのメッセージを見て微妙な笑いを浮かべているMIYAVI。そこでまた熾烈をきわめる肉弾戦。・・・行く先々で満身創痍、かつ刻々とポロニウムが身体を溶かしていく、そのダメージ描写・・・。

前に10 Cloverfield Lane(2016)のレビューにこう書いたことがある。
『メアリーエリザベスウィンステッドを映画のなかに見ると、かならず思うのが、かわいすぎるってこと。とりわけ遊星やスイスやこの映画のように、horribleな主題をもっている映画に居るときほど、お嬢な顔立ちが、悪目立ちする。なんでこんな子が、こんなことになってしまっているんだろう──という感じ。』

──本作はもっと苛烈。すなわちこのキャスティングは、ダメージ加工をしまくって、ボロボロになってさえ、メアリーエリザベスウィンステッドならば「それでもまだきれい」でいられるから。──起用はじゅうぶん納得できた。

洋画ゆえ日本人は捨て駒=おろそかに描かれると思っていたが、國村隼演じる木嶋組長はヒロイックなキャラクターだった。蓮司(浅野忠信)との殺陣は、まるで椿三十郎の三船敏郎と仲代達矢の決闘のよう(な短さ)だった。ただし、いつもながら國村隼には字幕がほしかった。

外国人の作った映像作品のなかにある、強調あるいはデフォルメされている──とはいえ、わたしたち日本の「カワイイ」文化が、どうしようもなくコドモっぽく見えてしまうのはなぜだろう。

(ただしここに描かれたような眠らない街も、「カワイイ」文化も、じっさいの日本・日本人を代表しているわけではない。
でも都市圏を描く以外に「日本」を表現する方法はない。のは知っています。他は老人がひっそりと暮らしているだけなので。)

心優しい殺し屋ケイトの物語、見事でした。

余談だが(一瞬だけ出てくる)ミキールハースマンに引っかけられるホテルはロストイントランスレーションのラウンジだろうか。ロストイントランスレーションの撮影に使ったホテルではパンケーキがゆうめいで、そこへカップルで聖地巡礼するのが流行っていた──らしい。又聞きの又聞きくらいな話だが。この映画に表出されたTokyoはロストイントランスレーションを彷彿させた。──という話。