津次郎

映画の感想+ブログ

人類を説明する 東京物語 (1953年製作の映画)

5.0
個人的な認識ですが、小津映画といえば、役者がカメラをまっすぐ見据えて、ほとんど表情を変えず、まるで抑揚のないセリフ回しをする映画群のことです。ほとんど状況描写のない、世界中どこを探してもない、妙な映画たちです。
個人的にいちばん好きなのは戦前の「淑女何を忘れたか」だと思います。むろんソースがなくて未だ見ていない映画もありますが、腰位置のスタイルが完成する以前の映画のほうが好きかもしれません。ただ東京物語は別格です。

紀子(原節子)のセリフ「誰だってみんな自分の生活がいちばん大事になってくるのよ」が東京物語の白眉です。この言葉に集約された物語だと思います。

母の葬儀が終わると、実子らはとっとと東京へ戻ってしまいます。義子である紀子が残って、周吉(笠智衆)を甲斐甲斐しく世話します。
それを悪びれた次女(香川京子)が「ずいぶん勝手よ、言いたいことだけ言ってさっさと帰ってしまうんですもの」──「お母さんが亡くなるとすぐお形見ほしいなんて、あたしお母さんの気持ち考えたら、とても悲しうなったわ、他人どうしでももっと温かいわ、親子ってそんなもんじゃないと思う」と愚痴ります。
それを受けての紀子のセリフでした。「でも子供って大きくなるとだんだん親から離れていくものじゃないかしら……誰だってみんな自分の生活が~」
二人の会話は「いやねえ世の中って」「そう、いやなことばっかり」ということに帰結します。

だからといって、小津監督は家族のつながりなんて無情なもんだと言いたかったのではないはずです。
子が成長し、親元を離れ、生活基盤を据えてしまえば、それぞれの屈託をかかえて、とうぜん親子関係なんて疎遠にならざるをえません。誰だってそうです。そうならざるをえない社会のやるせなさや寂しさを、東京物語は描いているのだと思います。
でなければ、世界中の人々が、東京物語に共感する根拠がありません。ここにはひとつも無情なんて描かれていません。「孝行したい時分に親はなしや」「そうでんなあ、さればとて墓に布団は着せられずや」というセリフ通りの、遍く人間社会のモデルケースの話です。

私たちは、久々に故郷に帰ってきて、思いのほか老いてしまった父母の後ろ姿を見たときのような哀愁を、東京物語に見るのです。ほんのいっときにせよ父母への不孝にさいなまれるのです。その感慨には国籍がありません。だからIMDBが8.2なのです。本質を突いていることを、誰もが認めざるをえないのです。

宇宙探査機には、地球人がどんな生き物なのか、未知なる宇宙人に説明するためのSETI情報が備えられています。
もしその用途に映画を一本選ぶとしたら、私は東京物語だと思います。