津次郎

映画の感想+ブログ

非倫理な宿命 わたしを離さないで (2010年製作の映画)

わたしを離さないで (字幕版)

3.6
淡々としているのだが、早い話、臓器提供のために生きている人間であって、その宿命が、フィクションの体裁ではあっても、腑に落ちなかった。
そんな宿命にもかかわらず、青春的なことをして、ちょっとはじけてみたりする彼らが、痛ましいといえば痛ましい。
──だが、そのペーソスを生み出すための「強引な設定」にも感じられてしまう。けっこう力技で悲劇をつくっちゃってるわけである。

原作のcontroversy/論争ポイントもそこだった。
すなわち、フィクションの設定が倫理を免れているようでいて、見ているほうは、そう易々と割り切れない。

これがどういうことかというと──、
たとえば先日ゾンビランドを見たが、不謹慎になるのを恐れて人は明言はしないものの、およそ、殺ってもいいゾンビを殺りまくるのは、楽しいに違いない──その「娯楽」が、ダブルタップの娯楽性に直結している──のである。
観る者が、倫理的であろうとすればするほど、出演者がたわむれに殺れば殺るほど、過激度が上昇する。
つまり、ゾンビを外したら主人公らは殺戮集団なのだ。
とりわけダブルタップはたわむれな殺戮を増し増しにし、狩る側のちゃら度も増し増しにし、むしろ積極的に「蔓延後の楽しいジェノサイド世界」を煽っている。
ゾンビ設定を笠に着たコメディなのである。

カズオイシグロのNever Let Me Goも、もしフィクションの設定を外したら、けっこう阿漕な話である。
子供が子供扱いされず、人が人扱いされない。
でも、ここはそういう世界なんですよ、と叙説されるとはいえ、みょうに乗り切れないものはある。
すなわち、そんな世界を笠に着て、強引にペーソスを引き出しちゃっているんじゃないの──というのが、反イシグロ派の言い分だった。

ただし、映画は原作よりも、エモーショナルトーンを抑えている。
彼らがどんな世界を生きているのか、あまり説明されず、ゆえに、彼らがなぜ酷い目に遭っているのかが──もし原作を知らなければ──衝撃をもたらしたに違いない。すなわち映画は原作の論争ポイントをほとんど免れた佳作だったと思う。