津次郎

映画の感想+ブログ

悲しさを隠した巨漢 大災難P.T.A. (1987年製作の映画)

大災難 P.T.A (字幕版)

5.0
コメディアンから出発した人は演技達者なので成功者が多い。トムハンクス/ジムキャリー/ビルマーレイ/ロビンウィリアムズ/アダムサンドラー/クリスティンウィグ/メリッサマッカーシー・・・。

ただ、お笑いキャラのまんまだと顕誉にあずかりにくい──というのがあって、どこかのタイミングで、出演チャンネルをシリアスな方向へ変えるひつようがある。
それをうまくやったのが挙げた人たち──だった。

もちろんチャンネルを変えなくても人気者ではあるが、シリアスへ振らないとあてられる役が限定的になるし、けっきょくのところ演技賞の対象にはならない。

賞の栄誉じたいに興味がなくても、賞によって拓かれるチャンスは大きいから、俳優へ専一転換する人ならそこを狙うだろう。

たとえばオーブリープラザは転換期にいる。レベルウィルソンやエイミーシューマーやオークワフィナはどうだろう。
ジャックブラックやウィルフェレルのように路線転換しないひともいる。むろんそれはそれでいさぎよい。

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tiktokのおすすめに本作のラストシーンがあがっていて、なつかしくなってVODで見た。アマゾンPrimeビデオで299円だった。

tiktokコメント欄がunderratedという単語で埋まっていた。
ジョンキャンディは多くの映画でひとびとを笑わせたが結局ひとつのプライズももらわなかった。だから人々は過小評価されたといってかれを哀悼しているのだった。

体型からしてジョンキャンディはおいそれとチャンネルを変えられるような人じゃなかった。陽気で豪放磊落。ほんとうの気持ちが外にあらわれない人だった。そんな彼だからこそ、このエンディングには胸を打たれた。

ニール:Del, what are you doing here? You said you were going home, what are you doing here?
デル:I uh... I don't have a home. Marie's been dead for eight years.

栄誉のチャンネルという意味においては、とうぜんジョンヒューズも最高のノープライズヒーローだった。

世の中はアンフェアなもので、ひとびとにシリアスなプロダクト以上の感動をあたえていながら、賞対象にならない人がいる。ものがある。ジョンヒューズなんかパルムドール10個でも不思議はないが、やはりチャンネルがちがうわけである。

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ジョンキャンディがここで演じたデルグリフィスはじぶんの悲しさを隠し人前では朗らかにしているキャラクターとしてせかいじゅうの人が知っている。演技としても演出としても、そのうまさは見ての通りだ。

先日見た荻上直子監督の「川っぺりムコリッタ」に島田というキャラクターがいてムロツヨシが演じていた。島田は子をうしなっているが悲しさを隠して人前では朗らかにしている。他人に強引に過干渉してくるところもデルグリフィスと同じだった。

ムロツヨシの演技に文句はない。しかし島田にほどこされた演出はまるで「わたしは悲しさを隠して気丈に振る舞っているキャラクターです」と書かれた看板を前後に貼り付けたサンドイッチマンだった。

(彦一とんち話で)怖くて可笑しくて悲しい話をせがまれた彦一は「あるところに鬼が出ておならをして死んでしまいました」と話した。
話された人が苦情を言うと、彦一は「鬼が出たら怖いだろ、おならをしたら可笑しいだろ、死んでしまえば悲しいじゃないか」と開き直った。

映画監督は開き直っちゃいけない。いや、それ以前に監督自身がその演出がたんなる開き直りに過ぎないことを知らなきゃいけないわけだからけっこう救いはない。

もちろん小市民が遠吠えているだけでじっさい顕誉にあずかっているこの監督にも映画にも問題はない。が「川っぺりムコリッタ」を輸出してほしいとは思う。寄りでない大衆に晒されなければ映画の真価はみえない。