津次郎

映画の感想+ブログ

色あせない衝撃 パルプ・フィクション (1994年製作の映画)

パルプ・フィクション

4.5

象徴的な映画はレビューしづらいものだ。ましてパルプフィクションなんて、たとえば漫画で主人公の映画好きを絵であらわしたいとき部屋にパルプフィクションのポスターを貼っておけば伝わる──みたいな現代の“映画”や“映画好き”を象徴してしまう代表的な映画だと思う。
すでにおびただしい意見の上にあって今更ミクロな意見を加えてもしかたがないが、昔見た記憶と照合しながら見たので、なんか書いておきたいと思った。

逸話をちりばめる監督だと思う。基盤に会話シーンがあってその話が面白い。それらが本筋を彩りながら進んでいく。
レザボアドックスにLike a Virginは巨根に出会った女の話だ──という仮説をタランティーノが語るシーンがあったがそういった独自視点のひらめきをちりばめるのがタランティーノの特長なので、登場人物はみな個性的で面白い話ができるほどに頭がよく、ものごとに対して自分なりの見解がある。脚本家出身らしく映画が面白い会話によって成り立つのが特長。

特長として飛躍もある。
飛躍とは奇跡的に運がいいこと。ヴィンセントとジュールズに弾が一個も当たんない。ブッチはふりかかる災難をすべて強運で乗り越えてしまう。
ほかのタランティーノ映画にも飛躍で相手を負かしたり飛躍で救われるキャラクターが必ずいて痛快さに寄与している。飛躍はタランティーノ映画の特長だと思う。

またの特長として不謹慎。
暴力的。悪いこといっぱいするし。禁忌も差別もこれだいじょうぶなんかな──という描写だらけ。毎度暴力性が論争になる。

また博覧強記。
立身する前にタランティーノはレンタルビデオ屋に勤めていた。かれの知識量は界隈では有名だったそうだ。パルプフィクションもタランティーノが見てきた厖大な映画知見の上に成り立っている。

個人的にFrank Whaleyが気になった。
1991年のCareer Opportunities(邦題:恋の時給は4ドル44セント)が気に入っていた。監督はちがうが書いたのはジョンヒューズでFrank Whaleyは軽薄なほら吹き男を演じていた。今もそのキャラクター名“ジムドッジ”を覚えている。
個人的な見立てではFrank Whaleyはタランティーノの映画に出るようなタイプではなかった。それが出ていたので驚いたし彼は見た目も役もジムドッジのままだった。

パルプフィクションについて書けることはあまりない。いち素人が語るには情報量が多すぎるし、前述したとおり象徴的すぎる。なのであとはwiki等を見て知ったことを感想を交えながら幾つか挙げたい。

◆パルプフィクションはJトラボルタとSLジャクソンのキャリアを完全活性化させた。その後のふたりの延命ぶりを見るにパルプフィクションがいかに大きかったかわかる。
掘られたとはいえマーセルス役ヴィング・レイムスも役者として伸長した。

◆トラボルタへ役が巡ってきたのは当初マイケルマドセンが抜擢されていたのをかれが「ワイアット・アープ」への出演を選んだから──だそうだ。後年マドセンは自身の決定を後悔していると語ったそうだ。パルプフィクションは世紀を代表する映画になりマドセンの後悔たるやいかばかりだったことか。だからやけくそになってZ級映画常連になっちまったんだろうか。

◆パルプフィクションはカンヌ映画祭の最高賞パルムドールをとっている。RottenTomatoesが92%と96%。Imdbは8.9。興行も成功し文字通りブロックバスターとアートの垣根をぶち抜いた映画だった。

◆トラボルタとサーマンがダンスするシーンはサタデーナイトフィーバーを隠喩し観衆にトラボルタにダンスさせるために脚本を書いたと思わせたが、タランティーノによるとトラボルタが配役される前からあったそうだ。
偶然成立したにしても、サタデーナイトフィーバーではスマートでキラキラしていたトラボルタが、中年太りになってあんがい不格好にツイストするシーンはパルプフィクションの代表的なオマージュシーンになってしまった。

◆パルプフィクションのアクションの多くはトイレにいるかトイレを使用する必要がある登場人物を中心に展開する。そのリサイクル行為(うんこ)がパルプ(尻を拭く紙)との関係性を強化し、トイレを終えて出てきた者に違う世界が待っていることにパルプフィクションというタイトルを与えた、と見ることができる。──のだそうだ。なるほど!

◆タランティーノの博識により総てが既成映画からのオマージュになっている上それが幾つもあるので挙げきれないが、翻案元として大きな割合を占めるのはマリオバーヴァのブラックサバス/恐怖!三つの顔(1963)とアルドリッチのキスミーデッドリー(1955)だそうだ。

◆結果的に(#MeToo運動をまきおこした)ワインスタインがパルプフィクションの立て役者になってしまっている。トライスターにこんな脚本無理と言われ、ミラマックスのワインスタインに拾われなければパルプフィクションはつくられなかったかもしれない。

タランティーノは当時付き合っていたミラソルヴィノが暴行されたときもユマサーマンが犠牲になったときもワインスタインに抗議し謝罪を求めたそうだ。ただしタランティーノはワインスタインに買ってもらい育てられたという恩義があり事態を軽んじた。後年、ワインスタインについて「むちゃくちゃなことをする父親だと考えていた」と評し、自身の対応を後悔する発言をしている。