津次郎

映画の感想+ブログ

やにだらけ マエストロ:その音楽と愛と (2023年製作の映画)

マエストロ:その音楽と愛と

3.4

子供のころ指揮者という職業に疑問をもっていました。
でたらめにタクトを振っても大丈夫な気がしたからです。

たとえばシンバルを鳴らすところでシンバルに向かって合図しなくても奏者はシンバルを鳴らすのではないだろうか。

楽譜もあるのだしシンバルを任されたからにはシンバルを鳴らすところがわからないということはないと思ったのです。

無教養なわたしにとって指揮者はなにがすごいのかわからない人でしたがTAR(2022)を見たときTAR(ブランシェット)が曲を克明にスコアしているのを見ました。

オーケストラを指揮するための解釈がファイルに綴じてありTARにそれを見せてくれるように再三懇請してくる人物をマークストロングが演じていました。

おそらく指揮者とは、作曲家がつくった曲を自分のものとして指揮するために、自分用に書き直すような作業をする人なのでしょう。
後半で、業界を放逐されたTARが質素な生家に戻って過ごすシーンがあり、そこで彼女はレナードバーンスタインが音楽の意味を語るコンサートのVHSを見て涙します。(TARは架空の人物ですが)天才のTARにとってさえバーンスタインは神なのかもしれません。

このことからわかったのはクラシックとは作曲家の曲を聴くというより指揮者の“解釈”を聴くということです。
熟達した聴き手であれば、オーケストラを聴いて「あ、バーンスタインだ」とわかる──ということです。

この映画は「あ、バーンスタインだ」とわかる──ほどまでにバーンスタインをわかっているなら、興味深い映画だろうと思います。

逆に、クラシックをあまり聴かずバーンスタインの偉大さとその理由がわかっていないとつらい映画かもしれません。
TARのようにサスペンスやミステリーの要素もなく、延々とバーンスタイン(クーパー)とフェリシア(マリガン)の日常が描かれます。

表現主義の撮影で、構図も角度も仕草もがっつり決めます。衣装もヘアスタイルもしっかり監修し、Bombshell(2019)でシャーリーズセロンを別人に変えたKazu Hiroが特殊メイクを担当し、クーパーは見た目もバーンスタインにそっくりです。

オーソンウェルズのように喋っている人を間断なく繋いでいくような饒舌なタッチで、愛憎の山と谷を活写していきます。

最初は陰影を活かしたモノクロですが、時代が進むとカラーに変わります。カラー処理も60年代映画のようなヴィヴィッドな色みを使ってシーン毎しっかり絵になるように撮っています。

もっとも時間を割いているのは教会の演奏で、概説によると1973年イギリスのイーリー大聖堂で演じたマーラーだそうです。撮影のマシューリバティークはアロノフスキーの右腕で、そりゃもうみごとな絵でした。

これらの映画的こだわりは一目で解りますが、バーンスタインを解っていないと、じょじょに彼の放恣に苛立ちをおぼえてくるでしょう。

天才が放恣なのはよくあることですし彼の浮気癖に目をつぶったとしても目に余るのは喫煙の描写です。

正直なところ、この映画でもっとも特徴的なのは禁煙ファシズムへの反発のようにすら見える煙草です。

いま世の中は喫煙者に対してはどんなに弾劾してもいいという風潮になっていて公共での喫煙は縮小の一途を辿っています。

喫煙者は今世でもっとも迫害されているマイノリティと言っていささかも過言ではないでしょう。

その過激な学会活動に対して映画は全編で反抗しているように見えます。なにしろレニーもフェリシアもタバコを口にくわえているか、人差し指と中指の間にタバコが挟まれていないショットを探すのが難しいほどです。

壇上でも、ピアノ弾きながらでも、運転中でも、子供の眼前でも、まばゆいほど鮮やかな新緑の野原でも、ぜったいに煙草を離しません。

結果レニーもフェリシアも肺がんで死にます。ふたりは芸道人生を貫徹し、好きに生きて死ぬわけです。煙草をすいすぎると肺がんになりますよ──に対して「それがどうした」と言っているわけです。

喫煙にたいする現代社会の冷遇をガン無視しているのと同時に、肺がん撲滅を意図した啓蒙映画にもなり得るでしょう。

すなわち映画マエストロのつらさとは、そのへんで(煙草吸うの)やめとけよと言いたくなるつらさでもあります。

バーンスタインは再三の浮気でフェリシアを悲しませましたが業界やファンにとっては情熱的で活発で後進の育成に熱心な人でした。

TARのワンシーンを前述しましたが、実際に──

『音楽解説者・教育者としても大きな業績を残し、テレビ放送でクラシック音楽やジャズについての啓蒙的な解説を演奏を交えて行った。マイケル・ティルソン・トーマス、小澤征爾、大植英次、佐渡裕など多くの弟子を世に送り出したことでも知られる。』
(ウィキペディア、レナード・バーンスタインより)

──とあり、バーンスタインの技術や魂が現代に受け継がれていることをうかがい知ることができます。最晩年の1990年も含め7回来日しており、フェリシアが病に臥すと献身的に看病にあたりました。

したがって後半のつらさは、前半のつらさとは異なり、病でしだいに弱り狭窄していくふたりにたいする同情心です。

それに、何より、キャリーマリガンが悲しでるの見るのがつらいんですよ。

というわけで、この映画が技術的に高度な次元に達しているのはよくわかりますが、ぜんぜん晴れない映画だったのです。

imdb7.0、RottenTomatoes80%と81%。