津次郎

映画の感想+ブログ

高校生の過労死 あしたの少女 (2022年製作の映画)

あしたの少女

4.0

コールセンター研修での過労から自死する高校生ソヒ(キム・シウン)と、その捜査にあたる刑事ユジン(ペ・ドゥナ)の2者視点で構成されている。
実話からインスピレーションを得て書かれたそうだ。
2022年カンヌで上映されて以来、各所で賞をとった。

社会未経験で意欲的な高校生がコールセンターなんかやったらどうなるか。
ひどい労働環境に幻滅することがわかっているのに、期待と不安に胸を高鳴らせている少女の描写がつらい。キム・シウンがじょうずで余計につらい。

一日中座って電話の向こう側の横柄な客を相手にする。
ののしられても低姿勢をとらねばならず成績を競争させられ無給で長時間労働したうえ上司にあたられ心が荒みきってしまえば衝動的に死を選ぶこともあり得るだろう。

前半は見ているのがとてもつらかった。

後半の捜査では調べるほど社会構造の病根が見えてくる仕組み。

学校は就職率をあげるために、劣悪な仕事をやらせる就職先と昵懇になっている。就職率実績がないと助成金がでないからだ。
下請けの親会社は、ストレスフルな競争システムであっても法的介入ができないのを盾に、嫌だったなら辞めることができたと主張する。
監督の省庁もそれらを取り締まる権限がない。あるいは数値によって評価されるので解らない。
問題はあってもそれが隠れる社会構造をしている。こうした構造上の陥穽やブラック企業は日本にだって山ほどあるだろう。

刑事のユジンはそれに直面するが、正義感と少女への憐憫にかられて、学校や企業や監督庁を追求する。
ドゥナの演じるユジンはよく韓国映画ドラマに出てくる上司と衝突するタイプの熱血型刑事である。
が、その正義感はリアルだった。それはイソコ的な自己顕示のための偽正義ではなくほんとの義憤だった。

ソヒとユジンの間にはわずかな接点がある。趣味のダンスクラブでいちどだけ居合わせた。ソヒは利得もないのにおばさん世代とダンスをやっている。あてのない目標へ向かってひたすらダンスの練習に励んでいたソヒ。無欲な少女が負った冷酷な仕打ちが、ユジンには我慢できなかった。

ソヒが自死したこと、それをおこした社会構造は、1刑事の力ではどうにもならないことだろう。だけどユジンはソヒの気持ちに思いをはせて、どうにかしたいという使命感にかられる。

チョン・ジュリ監督はこの映画をつくった動機をこう語ったそうだ。

『誰かに寄り添うことができれば、もしかしたら変わるかもしれないという希望。その希望だけを考えて、この映画を作りました。』──チョン・ジュリ

原題のNext Soheeには、次のソヒが起こりうるという警笛と、次のソヒをだしてはいけないという悲願がこめられていると思った。

監督の前作「私の少女」(2014)にもぺ・ドゥナがでており、虐待に遭っている少女と少女を引き取る警察官の話で、今作と通じるものがあった。

ペ・ドゥナはクールだが熱い信念がある雰囲気。私の少女、あしたの少女、ベイビーブローカーは同キャラクターのように感じられた。いるだけで絵が安定する女優だと思う。