津次郎

映画の感想+ブログ

蜘蛛かよ REBEL MOON ー パート1: 炎の子 (2023年製作の映画)

REBEL MOON ー パート1: 炎の子

2.6

七人の侍のスペースオペラバージョンという印象。DUNEのハルコンネンみたいに残虐な帝国から村を守るため、星を巡って英傑が集められる。
既視感のあるいろんな要素が集まっているが画から潤沢な予算は伝わってきた。

が、なぜかときめかない。
傑物が出てくるところはいちばんときめかなけりゃならないと思う。アベンジャーズなどマーベルやDCではヒーローが出てくるたびにわくわく感がある。七人の侍で言うなら志村喬と木村功が凄腕の剣客久蔵(宮口精二)に会うところだ。

様々な事情で世間からつまはじきにされた108人の英雄が梁山泊に集まってくる(水滸伝)──というような英傑の登場は物語の導入上いちばん感興を集約するところであってほしいが、レベルムーンパート1には、そのときめきがなかった。(ように思う。)

配役はそれぞれ適合していると思う。ペ・ドゥナなのは、寡黙な剣士を配置したかったからだろうし、ほかのマッチョたちもアウトラインに符合している。が、なぜか立ってこない。
よく知らない俳優だからってことでもなく、たとえばかつてSerenity(2005)を見たとき、当時は全員知らない俳優だったのに異様な興奮があったのを思えば、かならずしも俳優の知名度がときめきを生成するわけじゃない。

けっきょくこのパート1でもっとも名を上げたのは冷酷な提督アティカスを演じたEd Skreinだったと思う。他の映画でも悪役履歴があり、ふてぶてしさが観衆の処罰感情を燃やし適任だった。

この映画のダイナミズムの抽出方法は新旧テクノロジーの混在であろうと思う。

飛び道具のなかに剣が出てくる。ウォーと叫びながら槍(のごときもの)を持って玉砕する同監督の過去作300(2007)のようなシーンもある。宿敵とヒロインの戦いでは徒手空拳になる。
一般に銃の戦いは一発で終わるので、劇的にするために旧弊な白兵戦をもってくるのは映画の常套手段でもありオマージュでもある。

『Rebel Moonは、黒澤明の作品、スター・ウォーズ映画、(SF及びファンタジー雑誌の)ヘビーメタルマガジンにインスパイアされており、ロゴは後者へのオマージュである。』
(Wikipedeia、Rebel Moonより)

ただ寡兵や旧弊なテクノロジーをつかって巨悪に立ち向かうのが絵になるには、演者へのときめきが必要だ。
たとえばSWローグワン(2016)における白眉は、盲目のジェダイ、チアルート(ドニーイェン)の杖による大立ち回りだった。
あの種のわくわく感がこの序章には欠如している。いろいろな意味で前途多難だと思った。

過不足のない商業作品だとも思うが、こういった世界観に慣れた観衆や批評家には苦戦していて、じぶんもあまり乗れなかった。

Imdb5.7、RottenTomatoes24%と60%。

ちなみにクレジットに麗しのジェナマローンがいて、どこに出ていたのか気づかなかったが概説を見たら蜘蛛だった。むだづかいだと思うがどうだろう。