津次郎

映画の感想+ブログ

偽物を信じ、本物を知らなかった男 緋色の街/スカーレット・ストリート (1945年製作の映画)

4.0

老齢の男性が、若い女性に熱を上げる。
その現象や末路を、ニュースなどで見ることがある。

男性が若い女性を好きなのはわかる。女性だって若い男性のほうが好きなことはあるし、若い人だって基本的には若い人のほうが好きだろう。

ただ、このバランスはときどき財力や魂胆によって曖昧になる。裕福な男性は金の力で若い愛人を持つことができるし、夜職嬢は本心を隠して、男性から好意や金を引き出す。

『緋色の街』が作られた1940年代にも、金のある年長男性と若い女性という組み合わせは、少なくとも映画の中では成功者の記号として違和感なく置かれている。

じっさい本作の冒頭、雇い主が若い女を車に乗せて去るのを見た主人公は、「若い娘に愛されるとはどんな気分だろう」と、これから始まる物語を匂わせる言葉を漏らす。

現在、年齢差のある恋愛そのものは、双方が成人で自由に同意しているなら、それだけで非難されるものではない。少なくとも表向きは。
内心は違う。
年の差のある男女には人々の興味が集まる。
そして男は、ときどき純愛を信じる。
どんだけバカなんだ男よ、とも思う。鏡を見ろ。いや、それ以上に相手を見ろ。自分に都合のいいところだけを見るな。

この映画には、女が男を騙していたことがバレたときの、定番ともいえる場面がある。
クリスは、キティが自分と結婚してくれるだろうと思い込んで彼女に会いに行く。しかし、そこでジョニーとキティが抱き合っているのを目にし、自分が騙されていたことを知る。
それでもクリスは諦めきれず、キティに結婚を申し込む。
キティはクリスを年老いて醜いと嘲り、笑う。
激怒したクリスは彼女を刺殺する。

クリスを演じるのはエドワード・G・ロビンソン。キティはジョーン・ベネット。
言わば「意識高い系のジェームズ・キャグニー」のような位置にいて、ギャングや強面の男で鳴らしたロビンソンが、ここでは気弱で世間知らずの小男を演じている。
ジョーン・ベネットは、ファム・ファタールとして脂が乗っていた時期だった。

映画はけっこう複雑なストーリーを持っている。
要約すると――
若い女に恋した孤独な中年男が、金も才能も利用された末に彼女を殺してしまう。しかし別の男がその罪で処刑され、殺された女は男の絵によって天才画家として名声を残す。唯一真実を知る男だけが法の裁きを免れながら、良心と狂気によって生涯罰せられ続ける。

そんな倒錯した犯罪悲劇である。
恐妻家で、真面目だけが取り柄の出納係クリス・クロス。ささやかな趣味は絵を描くことだった。
『緋色の街』にあるすべての間違いのなかで、たったひとつ真正だったものがある。
絵である。

クリスの画力だけは、本物だった。
映画に登場する絵は、当時ハリウッドで活動していた画家John Deckerが描いたものだという。
錯乱したとはいえ、真犯人であるクリスは捕まらない。ジョニーは冤罪のまま処刑される。
その不条理と非倫理性が衝撃的な『緋色の街』だが、私は、自分の持っている本当の才能を生かすことも、本人として褒められることもなかった、寂しい男の話でもあると思った。
ラストでは、クリスの描いたキティの肖像画が、裕福な夫人に一万ドルで買われる。
かつてなら狂喜したであろうクリスは、そのそばを通り過ぎていく。
気づいているのか、いないのかさえ、よくわからない。
誰も彼のことを知らない。

男は、たとえ老齢になっても、馬鹿でもいいと思う。
ただ一つ、己のことさえ解っているならば。
クリスは、自分について何も解っていなかった。
自分がキティに愛されていないことも、自分が彼女にとってどんな男なのかも解らなかった。
その一方で、自分に絵の才能があることまで解っていなかった。

毎日ニュースやSNSを見ていると、自分が何者なのか自覚していない人を、ずいぶん見せられている気がする。
男は一度くらい、好きな女が自分のものにはならないという絶望を味わったほうがいいのかもしれない。
一般的に考えれば、「僕は死にません、あなたが好きだから僕は死にません」と言ってトラックの前に飛び出せば、轢かれて死ぬだけだ。
それ以外の結果は幻影である。
男が何をするためにこの世に生まれてきたのかといえば、案外、女に好かれない寂しさに耐えるためなんじゃなかろうか。

IMDb 7.7、Rotten Tomatoesは批評家100%、観客87%。