津次郎

映画の感想+ブログ

伝えたいことを伝えるのは作為 ワンダー 君は太陽 (2017年製作の映画)


4.3
オギーの学校初日に先生が今月の格言を説く。
黒板には、
When given the choice between being right or being kind.
Choose kind.
と書かれている。
正しいか親切であるかの選択が与えられたとき、親切を選択しなさい──これは、この映画の主張だった、と思う。
個人的には、オギーを取り巻く健常者の悩みを併行で描いている手法に更なる感動があった。

映画は泣けるがお涙頂戴をぜんぜん用いていない。
比較する脈略は一切ないけれど、日本では、この手の話をお涙頂戴でない方法論で描けるだろうか・・・、
あるいは宇宙飛行士とスターウォーズのファンタジックな心象を交えながら描けるだろうか・・・、
かなわない──と思うのは、そんな瞬間だ。

個人的にウォールフラワーはすでに古典であって、それをかんがみると、Stephen Chboskyってウォールフラワーとこれだけなのに、2作だけで「名監督」が解ってしまう。
かなわない──と思うのは、そんな瞬間でもある。

ウォールフラワーのチャーリーは親友に死なれ精神を患ってしまった青年だが、思いやりのあるサムとパトリックのおかげで徐々に心を開いていくのだったし、ワンダーのオギーは遺伝子疾患によって顔面不形成に生まれ手術跡を負うけれど、家族と友人によって乗り越えてゆく。Stephen Chboskyは、偏見を持つな・人を思いやれという教訓を教訓無しで描いてみせる。個人的にジョンヒューズみたいに刺さる監督です。

ところでこの映画、母はジュリアロバーツだし父はオーウェンウィルソンだし、子役達もIzabela VidovicもDanielle Rose Russellも綺麗です。
偏見を持つな・人を思いやれとの骨子に感動する以前に、わたしたちは彼らの美しさに気付いている──はずです。
彼らが美しいからこそ、偏見を持つな・人を思いやれという教導に寄り添い感動することができた、とも言えます。
すなわちChboskyは完全に意識的に、家族も子役も、美しい人たちばかりを集めている──と思わずにはいられなかった。かしがましいことを言うならオギーの顔の造形もどっちかといえば可愛いのです。醜を扱うために徹底的に醜を排除している──その「巧さ」。
映画が人を感動させるのは、一生懸命つくったとか、思いを込めた、とかではなく、徹底的に技巧──悪く言えば作為なのだ──と思うのです。
だから、かなわない──と思うのは、そんな瞬間です。