津次郎

映画の感想+ブログ

友よここに僕らのケルンを積もう 帰れない山 (2022年製作の映画)

帰れない山

5.0

普遍的な話だった。この普遍的とはバランスのとれた人が書いた話──という感じ。パオロ・ソレンティーノ監督のThe Hand of God(2021)を見たときにもそういう普遍性を感じた。The Hand of Godと同時期にボクたちはみんな大人になれなかった(2021)というのを見たので余計に“普遍”を感じた。

言いたいことが伝わるか解らないし牽強付会(こじつけな比較)でもあるが日本の創作物でこの種の普遍を感じることはまれだと思う。

むろんじぶんが接するものに偏り(かたより)があるからであり、言ってみれば無知だからでもあろうが、概して日本は“ひねくれ”の先に創作物があって、あっちは健全さの先に創作物がある──という感じをもったことはありませんか。
たいがい不幸や過酷な体験が物語形成の基幹にあり、それゆえ劣等感や敗北感が創作の端緒になっているものがほとんど。avicii風な人生賛歌って日本にはないでしょ。

引き合いにするものに罪はないが(たとえば)母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思ったとか、俺はまだ本気出してないだけとか、ボクたちはみんな大人になれなかったとか、そういうのって“普遍”じゃなくて、なんらかの“いびつさ”やコンプレックスの上に成り立っている創作物ではなかろうか。

解りやすく言うと(解りやすくなるかは不明だが)テラハにイタリア人の漫画家が出た回があった。
(テラハの全体がヤラセだとしても)日本人の面々はみんなコドモっぽかったのに比べて、そのイタリア人男性はとてもバランスのとれた人物だった。・・・。
バランスとは“まっとうさ”のことでもある。ようするに大人だった。あの感じが、この“普遍”を語るのに合致している。

もちろん普遍とは幅広く共感ができるという本来の意味でもある。

幼少期から大人へまたがる友情と、父への悔恨が美しい山稜のなかで語られる。深く共感できる話で俳優も撮影も音楽もよかった。

パオロ・コネッティという人が2016年に書き、ストレガ賞(イタリア文学界の最高賞)をとったLe otto montagne(8つの山)の映画化、とのこと。作家自身が脚本に参加してもいる。小説同様映画も成功し、カンヌでは審査員賞をとった。

Imdb7.7、RottenTomatoes91%と98%。

普遍とは技術でもあり、映画の技術を学んでこそ独善のない映画ができる。4:3に切ってあるが構図もよかった。
ソレンティーノと同じで悲劇的事象を内包していながらも全体として人生賛歌になっている。大人っぽい。巧いし美しいし、小説も読んでみたいな──と思わせた。

かつてみんなのうたで聴いたことがある歌にケルンをつもうというのがあり、伸びやかなバリトンによって歌われるその歌詞に「友よここに僕らのケルンを積もう」という一節があったのを思い出した。そんな感じの話だった。

ちなみに山に男二人なのでブロークバック~と状況が同じだがそっち(LGBTQ)の値はまったくない。