津次郎

映画の感想+ブログ

マイケルベイ的な バトルシップ (2012年製作の映画)

4.0

imdb5.8、RottenTomatoes34%と54%。
本国では否定的評価に遭い興行もふるわずBrooklyn Deckerがゴールデンラズベリーにも選ばれた。という。

だけど、これすごく良くなかったですか。
ぜんぜん悪くなかったし、むしろ興奮しながら楽しく見た記憶がある。

冷戦沈着な浅野忠信もよかったし強気な砲撃手リアーナもよかった。ラギッドな敵戦艦の造形もよかったし、記念展示艦になっていたミズーリを駆って老兵たちが奮起するところだってベタだけど盛り上がった。ブルックリンデッカーなんかアイキャンディでしかなく、何がいけないの──という話だった。演出だってローンサバイバー(2013)のピーターバーグだからアクションの勘所おさえた機敏な演出だった。ホッパー(テイラーキッチュ)が「君も死ぬ俺も死ぬ、みんな死ぬ、でも今日じゃない」と言って、反対向いてた砲台が投錨と同時にぐいっと真正面にきて一斉砲撃するシーン、アドレナリンが噴出した。

人間がはるかに強いエイリアン・はるかに進んだ兵器の裏をかく──という構成要素によってとにかく痛快な映画に仕上がっていたと思う。

つまり、何が悪いの──という映画だったので、RottenTomatoesの批評家評を見てみた。

批評家に共有される論点として「長い」というのがあり、また多くの批評家がトランスフォーマーを引き合いにしながら「トランスフォーマーみたいな感じのひどさ」というような言い回しを用いていた他は、何がいけないのか解らなかった。
批評家達はみんな、ばかばかしいとかくだらないとか言って罵倒しているのだが、具体的に何がいけないのかは言っていなかった。

従っておそらくバトルシップは批評家の「これを貶しておかないと批評家としての示しがつかない」気分の集束に嵌まってしまった映画のような気がした。

何が悪いのかは言えない。が、たしかに全体に荒唐無稽ではあるので、ばかばかしいとかくだらないという言葉で貶し、批評家自身の趣味の品格のようなものを自得・保持するための踏み絵映画となってしまった感がある。

ちなみにオーディエンスメーター(一般評)も54%と決して高くはないものの、一般評には好意的なのが多かった。たとえばこのような──

『I think this movie was very poorly rated. I have watched this movie at least 4 times and I never get tired of it. It is very action packed and has very good actors and actresses in it.』
(この映画の評価はとても低かったと思う。私はこの映画を少なくとも4回は観ているが、決して飽きることはない。アクション満載で、とてもいい俳優や女優が出ている。)

素直だと思うし、同意できる。

──

バトルシップの原作はHasbro社の二人用位置推測ゲームである。二人は矩形のグリッドになったプラスチックボードを間仕切りのようにして向かい合って座り、映画内で津波警報ブイだけを目安にレーダー無しで敵艦を追跡したように、相手の位置を当てっこする。昭和のころ、似たようなもので遊んだ記憶が(おぼろげながら)ある。

原作とはいえ元はゲームなわけだから、映画はゲームにインスピレーションを得たオリジナルストーリーと言える。よくもあそこまでストーリーを構築した──といえるのではなかろうか。

結局いい印象しかないのでRottenTomatoesの批評家評がエセっぽく見えたのだった。

アルマゲドン、パールハーバー、トランスフォーマーなどのマイケルベイ監督は、なんていうか「大衆性の権化」のように知的で都会的な批評家から貶されやすい傾向があると思う。バトルシップはとてもマイケルベイ的な映画だった。で、槍玉に上がってしまったという感じだろうか。

映画芸術とかいう偏向団体が怪物やゴジラ-01をワーストにあげている。蓮實的かつ高尚なおれたちの審美眼はおまいら(大衆)とは違うんだぜ──という権威主義・スノビズム。作るほうもだめ見るほうもだめ、日本映画っていったい・・・。

そんな日本の批評家のどうしようもなさに比べたらRottenTomatoesだってずっとまともなんだけどね。という話。