津次郎

映画の感想+ブログ

あっち系がどうやって他者をおさえつけるか、または東京の選挙

おそらく思ったのとは違うところへおちる話です。

1、概要

YouTubeの「飯山あかりちゃんねる」の2024年6月28日のライブ『【岩下の新生姜ピンチ!】アンチひまそらあかねが不買運動?!』の感想などです。

まず話の前提となるSNS上のトラブルが紹介されました。東京都知事選(2024年7月7日開票)に関係してSNS上で交わされた紛議です。

最初は紅生姜などの製造販売を手がける食品会社社長の2024年6月27日のポストです。

食品会社の社長がX上にて東京都知事選に立候補しているひまそらあかね氏の応援を表明・ポストしたところ、とあるフェミニストが同社製品の不買を呼びかけ、それに同調する者があらわれると同時に、同社の生姜を使用した個人経営店(たこ焼き屋)に対して電凹のいやがらせがあった──というのがだいたいの顛末です。

2、あっち系のやり口

これについて飯山陽氏は「あっち系」がどのように自分の主義を伝え、どのように他者を圧しようとするかについて説明します。

「あっち系」とは氏のYouTubeライブによく出てくることばで、概してサヨク的な人、自分とは違う意見を認めない人、あるいは常軌を逸した言動や行動で駄々をこねてくる不満分子──というような意味合いです。

なおライブ内での飯山氏の表現とは一部別の言葉を用いながら解説しています。

①まず特定のイデオロギーをもった人物Aが、SNS上で気に食わない意見をもった経営者Bを発見します。これで「スイッチオン」の状態になったAは、即刻Bを排除したくなり罵ったうえで、その企業の製品の不買を呼びかけます。

②それを見た有象無象の者らが同調し、たんに同社の生姜を使っているというだけの理由でほとんど無関係なたこ焼き屋Cにいやがらせをします。実被害が発生したこと、又それが自分ではない他人だったこともあって、Bは自身の影響力をかんがみてAに嫌われるような言動をやめます。

③これらの一連の紛議でBに加勢していた人々、リードオンリーパーソンも含めたオーディエンスは、BまたはCのような被害を受けたくないので、Aに逆らうのは止めようと自粛します。

④結果Aの都合のいい社会ができあがります。

実際のトラブルでは②③④には至っておりません。
これは「あっち系」がどうやって自分とは違う意見の人々を制圧しようとするかの手口の説明ですが、飯山氏は、今までアンチ勢から同様の手口でさんざん攻撃を受けてきました。説明はその体験を踏まえたものであり、説得力がありました。

ただし飯山氏はつづけて最近この手口に屈しない人が出てきていると話し、例として、参議院議員の有村治子氏を紹介します。有村氏は共同通信社より、何度も差別主義者だとレッテル貼りされながらも屈することなく同社の偏向報道に注意をうながしている人物だそうです。

さらに今回、騒動の渦中にいる食品会社社長も、不買運動の圧力には絶対に屈しません──と宣言していますし、飯山氏自身、イスラム教研究家界隈で、あるいは日本保守党界隈で嫌がらせを受けてきたにもかかわらず屈することがなかった人です。
ユニークなのでアンチも多いですが個人的には立花孝志も屈しないタイプだと思いますし、同党の浜田聡参議院議員にも堅実な印象があります。
したがって飯山氏の言う「あっち系に屈しない人が出てきている」という言及には実感がありました。(飯山氏が挙げた「屈しない人」例は有村氏のみです。立花氏と浜田氏はわたしが追加したに過ぎません。)

食品会社社長にかみついてきたフェミニストは、かねてよりひまそらあかね氏が、若年被害女性等の支援を行っている法人であるcolaboに対し、不正受給があるとして東京都に情報開示請求/住民監査請求を行ってきた、などの行動に不快感を持っていた、と考えるのが妥当です。

不支持ならば当の候補者にかみつくのが一般的ですがフェミニストはなぜか支持者にかみつきました。ひまそらあかね氏の支持者は多数いますので、そのなかでも目立つ存在だった食品会社社長にかみついた──ということでしょう。このフェミニストの思考回路はアクロバチックですが、それがこのトラブルの発端でした。

概して「あっち系」の問題の骨子は彼または彼女が何主義者なのかではなく、まともか・まともではないかというところに尽きます。ごく一般的に考えて「(一候補者を)応援してます」の一言だけで、縁もゆかりもない企業の社長に対して「おまえのところの製品は買わない、みんなも買うなよ」ということにはなりません。

ちなみに実際にはフェミニストの工作はかなわず、逆に「食べて応援」のような反A連合が形成され同社の紅生姜はむしろ以前に増して売れている様子がSNS上では見て取れます。

3、人をあなどるなかれ

初期から飯山氏のライブ配信を拝見してきましたが、特長として総じて言えることは氏の「反骨精神」だと思います。およそ初めて見た人は、飯山氏の外見の女性らしさ、体躯の小ささなどを第一印象とするでしょう。じっさいにライブ中もしくはアーカイブに寄せられるコメントも、そういうものが多数を占めています。ところが飯山氏はけっこうな蛮勇気の持ち主です。

男女比較が許されるならば男より強靱な向こう意気の持ち主です。初めて政治にかかわり衆議院議員補欠選挙東京15区(2024年4月)にて、日本保守党から立候補しましたが、街頭演説中におっさんが絡んできたり野次が飛んできたりしたことがありました。
講演会の聴衆にたいして、あるいは大学で生徒にたいして話すことを生業としてきたとはいえ、生まれてはじめてやっている辻立ちの演説です。そのような時不意に見ず知らずの他人から罵倒されても怯まなかった肝っ玉の持ち主です。
こうした度胸というのは生来の負けん気もあるのでしょうが、ライブ配信のなかで語った来歴から測るに、大病の経験や男社会のイスラム教研究者界で女性として生き抜いてきたことなどが反映しているに違いありません。

わたしは飯山氏をあなどっていたわけではありませんが、人はあなどってはいけないということをYouTubeの「飯山あかりちゃんねる」によって改めて感じました。

ちなみに個人的な見識ですが、男性が女性をあなどっている場合、それは彼の恋愛経歴の少なさを如実にあらわしているとみていい、と思います。手ひどい振られ、あるいはしっぺ返しに遭ったことがない故に、大人になってから女性に妙な絡み方をしたり妙に刺々しく対応したり妙に構えたりするわけです。率直に言って女性との接し方が解らないのです。近年は特にそういう男性が増えていると思います。すなわちそのような手合いが40代~80代の中に多数いるということです。

4、人を信じるなかれ

ところでじぶんは信条的に保守ですが政治的な人間ではなく社会派でもありません。
だいたいにおいて収入をふやしたり人生を好転させるのは自助にほかならず、もしやるべきことを怠っているのであれば、政治は二の次三の次の問題だと思います。現実に、低賃金や物価上昇に腐り散らしたところで、どうなるものでもありません。もちろん、いいと思った人に投票することは大切ですが、それが正解かどうかは解りません。

生きていく上で誰かを信じる必要はないと思っています。
それはたとえばYouTubeのチャンネル登録のようなものです。YouTubeはいいと思った人のチャンネルに登録して更新されていく配信を見ます。登録したとはいえ、見ていくうちに「面白くなくなった」あるいは「思っていたのと違った」と感じたなら登録を外します。
登録している間は配信者のことが好きですが、やがて好きでなくなったら登録解除する、YouTubeの配信者はその程度の存在です。その態度は特に無礼でも浮薄なわけでもなく、テレビのチャンネルを変えることと変わりはありません。好きなチャンネルを好きなように見ればいいのです。
ただし誰を「好き」になっても構わないでしょうが「信じる」までの根拠はありません。「信じる」と言えるほどその人物を知らないはずなのです。

ところがYouTubeのコメントには過信や心酔の言葉がならびます。
今回都知事選の台風の目とされている石丸伸二氏の街頭演説や関連動画のコメントには「生まれてはじめて信じてみようという人物があらわれた」というような感動的な決意がならんでいます。大げさに言っているのではなくどのチャンネル・切り抜きであろうと石丸氏の演説には実際にその類のコメントがならんでいます。
それらの人々はこれまでの人生でどのように他者を判定してきたのかと疑問に思うような安直さにおいて石丸氏に全面的な信頼と期待を寄せる美句が書かれています。しかも若年者ではありません。30代~70代のいい大人たちが無邪気に熱狂しているのです。この現象はたとえば参政党の時にもありました。さて、多数の人々が信頼と期待を寄せた参政党はどうだったでしょう。

なぜ人はやすやすと人を信じてしまうのでしょう。もちろんネットへコメントをしているのは視聴者の一部、氷山の一角に過ぎませんが、なぜそこまで盲目的なのでしょう。YouTubeでもXでも石丸氏を疑問視している意見は山ほど見つかります。飯山氏もそれをテーマにしたライブ配信をしています。奇声を発しながら石丸氏に理不尽な漫画クイズを投げ続けたひまそらあかね氏もたいがいに不可解な人物です。
誰かの信ぴょう性や人となりを判断したいとき、その判断材料はネットに無尽蔵に転がっています。信じるのはそれらを吟味したあとでもいいはずですが、そもそも誰のことも信じる必要はありません。

わたしは飯山あかりちゃんねるも見ますがかつてガーシーも好んで見ていました。博士を前科者と併せて語るのは失礼かもしれませんが、視聴者のスタンスとはそんなものです。面白いコンテンツですが信じてはいません。信じられないからではなく信じる必要がないからです。そもそも無縁の人です。習慣的に見ているから好ましく感じているのであって、人はよく見ている人を好きになるのであり、その現象を客観視することができなければ、誰かを支持するには能力不足だと思います。

新政党はさまざまな意見の中でいっしょくたにされることがありますが、たとえば日本保守党はまともだと思います。たとえば参政党はさいしょからいかがわしさ満載でした。これはわたしからすると常識的な判断ですがネット上では常識的な判断も個人的見解の一つに過ぎません。

5、分散

東京の問題点は東京にすべてが集中していることだと思います。東京に集まり過ぎている行政や本社や文化があちこちに分散することで解決する問題が多々あるでしょう。よって都政の最要点は東京およびその経済圏を健康的に減量・衰退させることです。

権力や人間があちこちの地方へ下って住み分けをすることです。中央集権がバラされたら権勢や公金が分断されて悪用がしにくくなるでしょう。国会も大相撲のように年毎場所巡業にして全国を巡らせます。議員は参勤交代のように疲弊し巡業地は栄えます。

もちろんそれはあり得ないことです。思うに選挙とは、変わることへの期待ではなく、変えようという意思でもなく、変えることができないのであればどうするか考える定期的な課題のようなものです。とりあえずSNSを閉じスマホを見つめるのをやめて自身の事業や仕事に打ち込んだほうが得策かもしれません。