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3.7
フランスベルギー合作映画のLes Émotifs anonymes、英題Romantics Anonymous(2010)のドラマ化とのこと。配信が見当たらず未見だがwikiなどから適応障害をかかえたすでに若くない男女とチョコレートが絡む設定がわかった。これに基づいたロマンチックコメディをネットフリックスで日韓ドラマ化しようと最初に発案した人は慧眼だったと思う。
ドラマのなかで小栗旬(42歳)は潔癖症だが一般的な中年男性には「おれは人に触ることができない」という悩みは存在しない。なぜなら中年男性は人に触る必要がないから。むやみに触ると逮捕される。相手役ヒョジュ(38歳)は人が直視できない視線恐怖症だが一般に38歳ともなれば人を直視できないという属性を言い訳にすることはできない、かもしれない。
ドラマ匿名の恋人たちはいささかとうの立った触れない男と見られない女の恋物語になっていて、そんなふたりが提供している気の毒な境遇を考えたとき気づくことがあった。
気づくというか、なんとなく知ってはいたけれど知らないふりをしている不文律みたいなもの、とも言える。
なんらかの病気とりわけ心疾患の類い、たとえば鬱病ADHDパニック症場面緘黙症、あるいは強迫症や記憶や判断力の欠如など、あるいはチック症トゥレット症、あるいは身体の不具合や火傷やなんらかの障害や事故による欠損や後遺症、あるいはジェンダーにまつわること、などなど・・・
世の中にはそれらのことを世間に打ち明ける人々がいる。勇気のいることであるし、じぶんのことを知ってもらい同時に同じ悩みを抱えている人に有益な情報と希望を与える、いいことだ。そのことに異論はない、それはいいことである。
ふと、それらを打ち明ける人が、かならず若くてきれいであることに気づくことがある。
気づくというか、そういうことになっているのを知ることがある。そこらへんにいるおっさんが潔癖症を打ち明けるかと言えば、打ち明けることはないし、そこらへんにいるおばさんが自閉症を打ち明けるかと言えば、打ち明けることはない。
ではなぜ、そこらへんにいる年をとった、きれいとは言いがたい人々が自分の疾患を打ち明けないのかというと、それは同情してもらうことができないからだ。
同情をかうにはある程度若くてきれいじゃないといけない。厳密に言えば、いけないことはないんだが、若くないと、かりに若さを譲ったとしてもきれいでないと、効果がない。
かわいそうな境遇を打ち出して共感や同情をかうのは、遍く(あまねく)ドラマがもっている構造であって、当然ながらこれに限ったことじゃないが、このドラマは恋愛ドラマをやるには主人公の年齢が高いことと、それぞれの心の病に焦点があたっていることで、そんなことを思ったのだった。
もちろん、年齢が高いことや心の病を取り沙汰していることは、このドラマの個性であり強みであり、それは成功している。
自分がもっている不利な属性やコンプレックスがなにかのエクスキューズになればいいなと思うことがある。
世の中から、たとえば「きみは強烈な劣等感を抱えているね、それならこの仕事を軽減してあげよう」というような容赦や配慮を受けられたらいいな、と思うことがある。
それはできないし、やるのはよくない。
だからこそドラマ「匿名の恋人たち」は甘美なんだし、じぶんの不利な属性を押し殺して生きている人ほど響くドラマになっていると思った。
個人的には三角関係要素にストレスを感じた。赤西仁だから尚更そわそわしてしまう。伊藤歩と中村ゆりを役交換すると男女バランスが改善する。ここの伊藤歩は魅力的でヒョジュに劣らなかった。