津次郎

映画の感想+ブログ

名を迷にするかんじのコンビ バッド・スパイ (2018年製作の映画)

バッド・スパイ(字幕版)

3.0
アメリカのTVパーソナリティーにエレンデジェネレスというひとがいる。おそらくあちらで、もっともゆうめいなTV人のひとりだと思う。

コメディアン、女優、同性愛者で、エレンの部屋というゲストとの対話番組をもっている。コナンやジミーファロンの女性版というかんじだろうか。

YouTubeで見るていどなので、くわしくは知らないが、かんじのいいひとで、上からでも下からでもないフレンドリー目線なMCをする。

ベリーショート。ボーイッシュなファッションでパンツルック。むかしの映像でしかスカートは見たことがない。還暦だが印象はさわやか。

年功というか、老害というか、立ち退いてくれない人でTVが占められているこっちとは、なんか違う──気がする。

(とはいえデジェネレスも独裁的な権勢で番組スタッフといざこざを起こしたことがある。が、それが表沙汰になるだけ健全。つまりこちらでは(たとえば)関○宏とか和○アキ子とか黒○徹子とかそういう長老に物言う分子なんかいない──という話。)

この映画に出てくる、ケイトマッキノンは、サタデーナイトライブ出身のコメディアンで、いちばん知られているネタが、エレンデジェネレスのインプレッション──だと思われる。

マッキノンのレパートリーはデジェネレスが筆頭で、あとヒラリークリントン、ジャスティンビーバー、ジョディフォスターもうまい。他にも50人くらいできる。

だが、なにしろエレンデジェネレスのまねが楽しい。

これのなにがすごいのかというと、エレンデジェネレスをあまりよく知らないわたしが、ケイトマッキノンのエレンデジェネレスは楽しい──と思えてしまうこと。

かんたんにいうと、知らない人のものまねをしているのに、それがおもしろい──わけである。

またエレンデジェネレスも、ヒラリークリントンも、ケイトマッキノンがやるじぶんのものまねが好きで、しばしばいっしょに出てくる。

日本では、クセっぽさを強調表現するので、本人との共演NGになるパターンが多いんじゃないだろうか。

むろんアメリカとて、ボールドウィンのトランプみたいなのは多いわけで、ものまねするひとが、されるひとに好かれるってのは、けっこうすごい。

じっさいケイトマッキノンは、たぐいまれな「にくめなさ」をもった、いそうでいないコメディアンだとおもう。

人気者だが、女優業のほうは、さほどうまくポジションとれているわけではない。
おなじコメディアン出身のクリスティンウィグやメリッサマッカーシー、レベルウィルソンらにはおよばない。

だがセロン/キッドマン/ロビーのBombshell(2019)では、方向性見せたかんじがした。彼女が演じたキャラクターはオフィスのオーソリティーで、とても似合っていたと思う。

この映画は、一般庶民が、そのお気楽のままで、国家間スパイをほんろうする──という、さいきんはけっこうよくあるタイプの巻き込まれコメディである。

ミラクニスをつかい、連想させる邦題にして、バッドママ風にも見せつつ、スパイ活動部分は、かなり本格的な描写にし、ギャップからコメディを浮き立たせよう──としている。

しかし、もっと巧いのがある感──は拭いきれない。ケイトマッキノンも、映画のように決められた動作、つくられたセリフを言っていると、破壊力は半減する。

コケ感はあったが、スベりまくっている──わけではない。
浅黒いクニスと白いマッキノンがコントラストを提供し、スパイをも凌駕する傍若無人な一般庶民の気配はじゅうぶんであり、ふたりともありふれた話を陽気にする雰囲気を持っていた。

ことし(2020)のはじめ。
まだ世界に新型コロナウィルスが認知されていなかった1月。ゴールデングローブ賞の授賞式がおこなわれ、こっちへはリッキージャーヴェイスの毒舌がつたわってきたくらいだったが、デジェネレスの特別賞受賞にたいして、プレゼンターのケイトマッキノンが発したスピーチが感動的なものだったと、話題になっていたようだ。

ケイトマッキノンも同性愛者である。
かのじょはデジェネレスがいたから、今いまのじぶんがある──と涙声で祝福したのだが、それはデジェネレスが、アメリカのTV業界において、はやい段階で、同性愛者であることをカミングアウトしたことを指している。

『(~中略)そんななか、その恐ろしさを緩和してくれたのはテレビに映るエレンでした。彼女は真実を話すために、自身の人生とキャリアを犠牲にし苦しみます。でも、そのおかげで、世の中の風潮は変わってきています。エレンのような人が炎の中に飛び込んでくれたからです。私自身、エレンをテレビで見ていなかったら、『LGBTQの人はテレビには出られないから私にはテレビは無理』と思っていたでしょう。それだけでなく、自分がエイリアンであり、この世に存在すべきではないと思っていたかもしれません。だからエレン、私に幸せな人生を生きる機会をくれてありがとう』