津次郎

映画の感想+ブログ

こけおどし サニー/32 (2018年製作の映画)

サニー/32

2.0
ピエール瀧って、プロパー外で演技未経験なのに、とんとん拍子で、起用頻度の高いバイプレイヤーにのし上がったわけだが、それがなぜなのか──考えてみた、ことがある。
たぶん、顔がいいから、だったと思う。世間にはいわゆる「いい顔」という漠然とした定義がある。「いい顔」は、女性ならきれいでなくてもいいし、男性ならハンサムでなくてもいい。
ピエール瀧のばあい、ふてぶてしい面構え──とでもいうべき印象で、野卑あるいは老獪な、海千山千の人物像を演じるのに適した顔であり、さまざまな主題のドラマで適材となり得た──のであろう。モテ過ぎな気はしたが。

かつて岸部一徳がさまざまな映画・ドラマで頻用されたことがあったが、あれは「死んだ目の魅力」とでもいうべきもので、日本には「死んだ目」で売っている俳優の系譜がある。代表は松田優作であり、そのご長男や白竜や新井浩文や染谷将太etcが「死んだ目系」だと思われる。
「死んだ目系」俳優の使途は、バイオレンスもので、死んだ目のまま、暴力的なことをやると、冷然とした迫力がでるので、一時期「死んだ目系」俳優が台頭したわけだった。

がしかし、死んだ目系とはいえ、トッププレイヤーであり、皆、器用な俳優でもあった。きょうび岸部一徳のイメージといえばメロンと請求書を持ってくる所長であって、もはや、かれにその男凶暴につきのイメージを持っている人は少ないのではなかろうか。

現実の世界では、顔に悪を定義しにくい。むろん悪人相はあるし、たいてい悪い相の人が悪い人だが、人それぞれの主観もあるし、よっぽど悪相でもなければ、明明白白とも言えない──のではなかろうか。
ニュースで捕まった人たちの顔を見れば、全員が、それな顔をしている──と感じるのだが、やはり、やった奴だからそう感じる──というのはある。
逆に、チョコプラの悪い顔選手権で、それなりのシチュ映像で、長田さん松尾さんが「ワルっ!」と言えば、そう見えてしまうもの──なわけである。

言うまでもないが、俳優が、現実にはどんな人なのか、庶民であるわたしにとって、どうでもいいことである。だがピエール瀧も新井浩文も個人的に好ましさを感じていた悪役プレイヤーだった。それゆえ、俳優としての「いい顔」なのか、じっさいに悪い人なのかの判定がつかなかったことが、もどかしかった。

なぜなら、人の顔に、善悪を見出したり、なんとなく察知することは、けっこう鑑賞眼=リテラシーにかかわってくる、と思えるからだ。観相に長けていれば、人相を読めるならば、映画を読み解く助けになる、と思えるからだ。

ただし悪役は、人相がわるいひとがやる──という方程式のものでもない。たとえば岡田将生は卑劣なかんじの悪役(悪人や星の子など)がとても巧い。ハンサムであっても、なんとなく不安定・ゆがみ・ひずみを感じさせる顔というものがあり、悪役顔も一概ではない。わけである。

にんげんをやっていると、顔をみて「この顔は、だいたいこういうひとだ」という予測がつく。しかも、それはけっこうな確立で当たる。ことがある。映画のばあい、その見識はリテラシーのようなものになる。(ような気がする──わけである。)

前置きが長くなったが、おそらく凶悪の高評価を経て、柳の下の泥鰌を狙っての同キャスト──(リリーとピエール)だと思われる。
それが、かえって映画の「悪」を削いでいる。この映画のふたりは、まるで長田さん松尾さんが「ワルっ!」と言っているみたいな感じ。凶悪を観た人なら、尚更そのあざとさを感じるに違いない。

また、日本映画のバイオレンス描写は園某タイプで、残酷な様態を見せつけたら、バイオレンス描写になる──という短絡があり、結局「それがどうした感」をぬぐい去ることができない。人の異常って、想定できるもんなら、つまんなくないですか?本作も、変人っぷりや異様さを、見せつけよう──とはしているけれど、上滑りしていた。

それから本作の主人公の女性。アイドル出身とのことだが、ご当人もアイドルグループも知らない。きれいな人ではなく、演技も下手だった。いい顔──ってわけでもない。個人的に魅力を感じることが出来ず、抜擢の不思議を感じさせる映画だった。
人は、人の顔を見て、それが好きだったり、好きでなかったりする。罪なことだが、主観は正直──という話。