津次郎

映画の感想+ブログ

陽光のマルタ島 コンフィデンスマンJP 英雄編 (2022年製作の映画)

2.9
英語がキツかった。

(個人的な抱懐だが)ふだん英語を使っていない人が「かっこよく喋ろうとしている英語」はダサい。

だが日本の俳優は映画/ドラマでかならず「かっこよく喋ろうとしている英語」を使う。

この映画の諸兄やたとえばシンゴジラで石原さとみが使ったような英語。

あんな英語はやめてくれ。と思う。

日本人なんだから日本人なまりのある河野太郎英語をつかえばいいのだ。よしんば出川英語だとしても、そのほうがダサくない。

つたえることを目的としている英語は、なんとなく抑揚をまねてかっこよく喋ろうとしている英語よりダサくない。

かっこよく喋ろうとしている英語にくわえて外国人的リアクションを付け添えるのがさらにダサい。たとえばオーマイガとかシットとかリアリー?とかの際に外国人的挙動をつけんなよ。日本語話しているときは坦坦としている人がなんで英語を話すときだけ外国人風のゼスチャをつけるわけよ。おかしいだろうがふつうにかんがえて。

(英語は)日本語とは口から舌からものごとの順番から180度ことなる言語なわけで、生まれたときから日本語つかってきたわれわれがあるていど成長しちゃってから英語話者とおなじ聞こえの英語を喋るのは不可能。ぜったいむりです。
(Takaはきれいなあっちの人のような英語をつかうがものすごい苦労したという話を聞いたことがある。)

けっきょく若い時から多国語環境で生活した等の条件下でなければネイティブの調音に寄せることなんて不可能なんだから「かっこよく喋ろうとしている英語」使うなっつーの。ほんとあれきらいだわ。

役者さんをとがめているつもりはなくて台本を日本語にすりゃいいという話。日本人向けの日本映画なんだから。外国語圏であろうと吹き替えという体にしといたほうがずっとスマートになったはずの映画だった。

あと思うのはやはり展開が後出しじゃんけんすぎること。

映画内でだまし合いをしているように見せかけて観客をだますプロットで教科書となるのがスティングだとすると、これはさいしょから「どうせひっくりかえすんでしょ」という予感がありすぎるし、じっさいなにもかもひっくりかえされる。

連作ゆえ、そういう話だとわかっているから仕方がないけれど「どうせひっくりかえすんでしょ」の予感がわくわく感をねじふせていたのは否めない。吉沢良太がいくら才人だからって映画で三個もおなじものをつくるのは無理だ。

一点だけ新橋ガード下をふらふら歩いているダー子は絵としてすごくよかった。
長澤まさみは(個人的に思うに)あんがい限定的用途の人でシリアスも愁嘆も叙情も恋愛も重いやつもぜんぜん似合わなくておばか面をまるだしにしているとき色めく。ダー子のキャラクターもおばかに振りきっているときはよかった。

またこれはたんなるいちゃもんになるがちょい役がちょい過ぎてなんなん?という感じだった。

労作を冷評して申し訳ないが個人的には愉しまなかった。

しかし前作に竹内結子と三浦春馬が出ていたんだと思ったとき感慨深かった。