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2.5
立花さんがよくテレビは核兵器にも勝る武器だと言うのは報道によって解釈をどんなかたちにも変えることができるからだ。報じることを脅しにあるいは見返りに政治家や権力者をてなづけることもできる。
ロスチャイルドが昔「わたしに通貨発行権をよこせ、あとは誰がどんな法律をつくろうが勝手にすればいい」と言ったという逸話があるが、放送権とはいわば通貨発行権のような最上位の権力で、それをもっていると、無いものを有ることにできる。有ることを無いことにもできる。
昔はテレビが事実を報じていると思っていた。そうじゃなかった。テレビ局がする報道とはそのテレビ局の意見であり、謂わばヤフコメに群がる数千の声のひとつが電波に乗って各戸のテレビに放映されているようなもの──にすぎない。好きな意見でないときはチャンネルを変える、そういう装置なのだ。
そんな他愛ないお気持ち表明装置にもかかわらずテレビがありさえすれば見ていようと見ていなかろうとお金をとるNHKがどれほど邪悪な組織かわかるだろうか。ぜったいにお金なんか払ってはいけないと思う。フジだって組織ぐるみで女子アナウンサーを顧客や芸能人に上納していたとか、普通に考えてそんなおぞましい企業がどこにあるんですか、という話である。
現在TBSのドラマキャスターは一強状態だそうだ。唯一の二桁視聴率でぶっちぎりで首位を走っている。阿部寛人気もあるが永野芽郁人気も手伝っていることだろう。そんな折も折、文春砲が放たれた。
そもそもキャスターはブーメランになりかねない時事ネタをあつかっている。ジャニーズ松本中居石橋ときてテレビがオールドメディアと揶揄されているこの時期に、歯に衣着せぬ太々しさで真実を追い求める破天荒なキャスター進藤(阿部寛)と、番組スタッフ崎久保(永野芽郁)を主軸に、毎回現実の事件から翻案したストーリーでアピールしてくる。
それは率直に言って「現在のテレビ局に対する世間の印象からして、こんな内容でドラマつくってだいじょうぶなんですか」と余計な心配をしたくなるようなブーメラン素材、というか、ひょっとしてセルフパロディやってんですか、というような内容であり、そんな折も折の文春砲だった。
不倫のことはいい。関係ないことだし。だいたいにおいて清純派なんて世間が勝手に貼ったレッテルであり、勝手に清純派のレッテルを貼り付け、勝手に盛り上がっている世間やSNSなど、彼女にとって心底面倒くさいものでしかないだろう。若い女に性欲と体力があってなにが悪いのかという話である。
ただし。永野さんは超絶のCM保持者でJCBコイケヤHOYAコーセーNTT花王サンスター三菱重工クラシエサントリーP&Gモスバーガーを掛け持ちしている。よしんば彼らが黙っていたとしても目下の懸念はアンバサダーを務めるプラダの動向だと言われている。彼女はいつもプラダっぽいが、彼女の着衣や小物を扱っているプラダが動いた場合、前述したスポンサーもキャンセルドミノをはじめるかもしれない、と言われている。
その結果、ドラマキャスターの緊張感の半分を文春砲が担ってしまった感がある。
キャスターは三話見たかぎりだが長い話をダイジェスト版にした、という感じのドラマである。派手に端折ってあり話がよくわからない。が、現実の事件から翻案しているから、だいたいのことをアタマの中で補填してしまえるし、面白いというより阿部寛と永野芽郁と若手美男たちとゲストスターによって価値が生成され、惰性で見てしまう。現場と中継がつながって修羅場が番組になってしまうという都合の良さや荒唐無稽にいい加減さがあらわれている。
また時事的ではあるが、リアルではない。リアルではないがテレビにおける報道が進藤キャスターのように掌(たなごころ)でころころと事件を弄んでいるようなもの、なのはそのとおりだと思う。真実も信念も良心も大義もなくたんに駆け引きのゲームに興じているようなものだというのはテレビ局の報道を把捉しえていると思う。
ところが文春砲によって永野芽郁の命運が不可測となり、その気懸かりが緊張感へ転化した。いま思えば感謝祭での江頭2:50との騒動からの文春砲は出来すぎのドラマ宣伝効果になっていた。
それにも増して、ドラマで繰り広げられているようなまんまのスキャンダラスな芸能人性をやりながらドラマ内で番組スタッフ役やっているという永野芽郁さんのタイトロープのような芸能人生を思い遣った結果、ドラマの緊張感の半分を文春砲が担ってしまった。というわけである。
今後の回でおそらく不倫ネタも扱われるだろうし、そうなればブーメラン、あるいはセルフパロディ、あるいはドラマと現実世界がシンクロする新手のドラマアピール方法になるかもしれない。とりあえず江頭2:50が襲いかかると視聴率はあがることが解った。