津次郎

映画の感想+ブログ

共通言語としての家族 真実 (2019年製作の映画)

真実(字幕版)

3.4
わたしのように過疎な状態のままネットに文を書いていると、ある誤解/希望的観測をすることがある。

売れない人が売れない理由を「才能が突出しすぎているから」と理由付けして、じぶんを慰めることがあるが、それに似て、あまり衆目をかき寄せることができないSNS発信者/レビュアー/ブロガーは、己の情報力/文章力を否定的に見てはいない。

人気がでない理由をじぶんの才ではなく運や大衆のせいにする傾向がある。

この現象に説明がひつようだろうか。
だれでも大なり小なり自己愛をもっている。
「だって人間だもの、みつを」という話。

ただし、個人なら歳月に埋もれてお終いだが、界内でそんな自己愛が頻出していると、業界が衰退する。たとえば日本映画界のように。

先般(2022/03)、是枝裕和監督と6名の監督有志の会が、映画業界の性加害やハラスメントに関する問題に対して声明を発表した。

同有志会はさらに、映画業界内の共助システムの構築をより強く継続的に求めるべく「日本版CNC(セーエヌセー)設立を求める会」を立ち上げ、6月14日(2022)に記者会見が行われた。──とのニュースがあった。

CNCとは──
『CNC(国立映画映像センター)は1946年創設のフランスの映画支援機関。 劇場や放送局、ビデオ販売などの利益の一部を財源に、映画制作や興行などを支援し、業界全体に資金を還元する共助の仕組みがある。 韓国にもCNCをモデルにした官民合議体の韓国映画振興委員会(KOFIC)がある。』(ネット上の概説より)

会見では是枝監督が「日本では趣味の延長やボランティアで作られる映画も多い。そのおもしろさに甘えてきたが、それでは成り立たなくなっている」と述べた──と伝えられていた。

もちろん会見の全容はそれだけではないが、是枝監督らが共助システムをつくる理由を簡単に言うなら、(日本映画界に)アマチュア精神がまかりとおっていることに対する危惧──であろう。

アマチュア精神(趣味の延長やボランティア)でやってきて、総てその延長だから、やがて小さな王国の王様になることができ、(園子温とか河瀬直美とかの)セクハラやパワハラが横行した──と言っているわけである。

じぶんはいままでのレビューで(ごまめがはぎしりするように)日本映画界のアマチュア精神に対する嫌味をさんざん述べてきた。

日本映画界では、目タコ耳タコするほど引き合いにしてきた「21世紀の女の子」みたいに、未成熟な技量をもてはやす風潮が定着している。
かれらは天才or鬼才と呼ばれて業界デビューするものの鳴かず飛ばずで数年後に消えていく。取り巻き/マスコミと一体化した未就学の映画監督──そんな人のどこにプロフェッショナルの位相があるのか、という話である。

そんなアマチュア精神がはびこる業界を危惧し、共助システムを設えて、業界を再構築すべく発起した──わけである。

虚妄の自称クリエイターが跋扈する日本映画界──その旧弊な世界にたいして、是枝監督の提議は、はじめて差した文明のような話だと思った。

ところで、カンヌで男優賞をとった「ベイビーブローカー」の公開を6月24日(2022)にひかえて盛り上がっている是枝裕和監督の周辺だが、海外進出の第一弾はこの映画だった。

この映画「真実」のときは、ベイビーブローカーほど盛り上がっていなかったが──、
『Rotten Tomatoesによれば、批評家の一致した見解は「『真実』は是枝裕和の最高傑作とは言えないかもしれないが、脚本・監督としておなじみのテーマを彼らしい繊細なタッチで再度取り上げている。」』(ウィキペディア、真実より)
──とあった。

映画は、同監督の海よりもまだ深く(2016)に似ている。リュミール(ジュリエット・ビノシュ)は、海よりも~の阿部寛のように、親との確執をかかえている。帰省からはじまる構造もおなじで、海よりも~の海外リメイクといってもさほど遠くない。

フランスでフランスの役者を使っていても是枝映画だということが明瞭に解った。誰がつくった映画か解らない──ということがなかった。加えてキャラクターにも是枝映画らしさがあった。それらの独自性がすんなり解ることに感心した。

ゴーイング マイ ホームというテレビドラマをみたとき、せつめいはできないが、演出や台詞に「是枝裕和」があらわれていた。穏やかな筆跡だが、画には明解なカラー/特異点を持っている監督だと思う。

リュミールと夫のハンク(イーサン・ホーク)とその娘が、大女優かつ母親のファビエンヌ(カトリーヌド・ヌーヴ)の自伝「真実」の出版記念によせて、ニューヨークからパリへ帰省してくる。

ファビエンヌはとあるSF映画に出演中だった。その映画「母の記憶に」では、母親は宇宙にいて年をとらず、数年ごとに訪ねてくる娘のほうが年老いていく──という設定。リュミールは不仲だった母と自分を、その映画中映画のキャラクターに重ね合わせる。

気ままなファビエンヌと現実的なリュミール。
真実と題された自伝は脚色だらけだったが、ふたりは亡くなったサラ(おそらくリュミールの姉妹/女優)の思い出を共有することで、徐々に歩み寄っていく。──という話。

海よりも~と同じところへ刺さる感じの映画で、よかった。
が、個人的にはリュディヴィーヌ・サニエがもっとみたかった。

さて「ベイビー・ブローカー」の公開前広報が功奏していると思う。
あたらしい映画を「あとでいいや」と思うじぶんもけっこう見たい感がつのってきた。
あの予告トレーラーがいい。

 

後日記:

外国のとある批評家が、是枝監督の子供の(素をひきだす)撮影の達人であることが解ったと語っていた。すなわち誰も知らないや奇跡や万引き家族などのなかで子役はカメラを向けられていないかのように自然体であったが(ベイビーブローカーでもそうだった)、母国語と異なるこのフランス映画のフランスの子供さえも“素”が引き出されていたことで是枝裕和監督の子供撮影の巧さを確信できた──ということだった。確かにその通りであると思った。