この文で言いたいのは二点で、
①白人に褒められると気持ちよくなってしまう日本人
②日本や日本に属するものが褒められたとき、わたし/あなたが褒められたことになるのか
──です。
①と②には相関性があります。
白人が絶賛しながら、日本料理を食べる、日本のアニメを見る、日本の良い環境を体験するなどの動画には、かならず「日本を褒めてくれてありがとう」という邦人コメントがならびます。
褒める外国人は白人とは限りませんが、アジア人であることはまずありませんし、白人が一般的なので白人としておきます。
個人的には日本に属するモノを褒められたとき、自分がそのモノに関与しているかを考えます。結果、関与していないので、嬉しくなることができません。そのことがこの文を書いた動機です。ところが自分がどんな立場であっても、それがなんであっても日本を褒められて嬉しくなってしまう人が多数派を占めています。
2018年、韓国平昌にて冬季オリンピックがおこなわれていたとき、とある人物(ジャーナリスト)が、

──とツイートして大きな非難を浴びました。個人的にはこの発言に同感だったので覚えているのです。
この人物の見解はオリンピックでメダルをとったのは個人の成果であるということです。我が国に感情移入して応援するのは当たり前ですが日本人スゴイは過剰一般化しすぎだと言いたいわけです。
テレビやニュースサイトやYouTubeなどで常に一定枠を確立している「白人が日本を褒めるコンテンツ」にも同様のことが言えます。
例えば白人が天ぷらやすしを食べて美味しいと言っていると日本食を好きになってくれてありがとうとほざく人が現れます。あなたはその天ぷらをつくったのか、あるいはその店舗経営にたずさわっているのか、聞きたいところです。
わたしは日本人ですが日本食を考案していません。アニメにも映画にもJPOPにもたずさわったことがありません。日本のテクノロジーにも貢献しておらず、京都や富士山の景観にもいっさい関係がありません。
それでもなんとか関係性をひり出すとしたら、単に日本人というだけです。
大多数の人々がただ単に日本人というだけで褒められて気持ちよくなってしまうわけですが、ただし褒めるのは白人でなければなりません。白人でなければ気持ちよくなれず、コンテンツの意味が半・全崩壊します。この際もっとも効果的なのは白人女性です。白人女性に自分自身が褒められたような気分になること──がコンテンツの勘所です。したがって①と②は相関性というより共依存関係と言えます。
では、白人に日本を褒められて気持ちよくなってしまうことの何がいけないのかといいますと・・・いけないことなどありません。各々自由・勝手にすればいいことです。
個人的にはこの現象を情けなく脳天気なことだと感じています。
白人に褒められることとアジア人に褒められることの価値を選り分けしているのは、卑屈な島国根性に所以していると思います。また他国の人々はわれわれが思うほど日本に注目していません。例えば、あなたはどこかの国のことについて四六時中、想っていますか。日本が他国からどう想われているかはわたし/あなたが他国についてどう想っているかに比例しているはずです。
日本人が秩序や礼儀を重んじ、じっさいに外国人から賞賛される人間性や製品や料理や社会環境をつくっていることに異論はありません。
ただし「白人が日本を褒めるコンテンツ」群は、白人に褒められると気持ちよくなってしまう日本人心情を利用したものであるとみる冷静さと、とりあえずわたし/あなたが褒められたわけではないという認識が必要だと思うのです。
世界に親日家はいますが親日国というものはないと考えています。簡単に気持ちよくなってしまう日本人のセキュリティに不安を覚えるので、できるだけ気持ちよくならないように気をつけたいという話です。