
4.0
王道なヒーローものはスーパーマンやスパイダーマンやバットマンにまかせて美男美女はアベンジャーズにまかせて悪ガキはスクワッドにまかせて、それらのどれでもない、はみだしもの達が活躍するアンチヒーローなヒーロー映画。
『Thunderbolts*』のアスタリスクはニューアベンジャーズの略だそうで、連綿と続いてきたマーベルシネマティックユニバースの正統継承映画だが、さいしょからエレナ(ピュー)は絶望感を漂わせながらビル屋上の突端に立ち、悔恨や辞世みたいなことを言っている。映画のはじまりからそれだった。
結論を先に言うと映画サンダーボルツが言いたいのは自己嫌悪からの恢復である。なんならボブ=セントリー(Lewis Pullman)は自己嫌悪に加えて自閉症をかかえている。誰もが心の病や慚愧に苛まれ、順風な出自の者は出てこない。そんなかれらが、少なくとも誰かを助けるために、みんなで力をあわせて問題を解決する様が描かれている。盛った言い方をしているわけではなく、じっさいにそういう映画だった。
だから映画の白眉は、自身の分身であるヴォイドを殴り続けるボブをエレナが抱きしめて『わたしはここにいる、あなたはひとりじゃない』と言うところだ。
そんなベタな演出が成り立つものだろうか、と疑問に思うかもしれないが、ボブがヴォイドボブに飲み込まれそうになった世界で、エレナもゴーストもバッキーもUSもレッドガーディアンも、チームが一丸となって事態に介入しヴォイドの浸食をストップさせる。感動した。
ところで映画はアートハウスとブロックバスターに二分され、概してアートハウスはブロックバスターにはない興趣や妙味があるというスタンスでつくられているものだ。しかし、ほんとうにそうだろうか、とじぶんはよく思う。名前を引き合いにして悪いが荒井晴彦とか河瀬直美とか荻上直子とか深田晃司とか石井岳龍とか高橋伴明とかATG系列とか・・・思いついた監督を挙げただけで、つまんない映画をつくっている監督なら誰でもいいのだが、そういうこまっしゃくれたアートハウス映画がハリウッドの大資本映画をスポイルする興趣や妙味をもっている、とあなたは思いますか?
なにがいいたいのかというとこまっしゃくれたアートハウスよりマーベルのほうが100倍感動できて100倍ためにもなるという話。
暗い過去をもつエレナは人を思いやることができるキャラクターであり、ボブは新しく築き上げた仲間たちに救われるキャラクターだ。学園がそのままヒーローと救世に変わったと言ってもいい。こうした描写は教訓となり、じっさいに学校でのいじめ防止や協調性に寄与するだろう。すくなくともわたしはそう思うし、マーベルだってDCだってセサミストリートだって徳育という立脚点に立って物語をつくっているわけである。
それにくらべて四畳半ポルノから出発した日本のアートハウスはいったい誰の味方をしてくれるんだ?
こんな対比が牽強付会なのは承知の上だが、日本の映画人にハリウッド大資本映画をくさす資格なんかぜんぜんない、と言いたかった。むろんエンタメがすべてじゃないし、映画鑑賞はステーキを食べたいときもあればお茶漬けが食べたいときもある。ただ、アートハウス側の人間が大資本映画をこきおろす負け惜しみムードが個人的にはまったく許容できない。という話。
井戸のような円柱の底を背中合わせの八脚によって登っていく、協調性をじっさいのカタチにしたようなシーンも印象的だった。この方法は全員が脚をテンションしておかなければならず、誰かが疲れてもいけないし、誰かが下を見て恐怖を感じてもいけないし、合わせた背中やクロスした腕が、かゆくなったり、いやになったりしてもいけない。コメディタッチにしているのだが、彼らの体勢と、とんでもなく深い円柱構造の穴の途上にいることを考えると、これは軽いトラウマでもあった。まったくのところ、登り切ったとて、この体勢からどうやって這い上がればいいのか。発案者は考えていなかったと言って詫びた。笑
素でコメディエンヌ値が高いヴィスワナサンがよかったのとピューさんはやっぱり魅力があった。ショートヘアで寸胴でフェミニンでもなく、いつも汗っぽくて埃っぽくて青いアイラインにロシア訛り、だけどなんか人間味を感じるんだよな。
かえりみてマーベルシネマティックユニバースの凄さは、わたしたちがすごく共鳴して入れ込んだヒーロー達が、全員刷新されても、それでもやっぱり共鳴できてしまうことに他ならないと思う。
imdb7.3、RottenTomatoes88%と93%。